紀伊国那賀郡平山村(和歌山県紀の川市・旧那賀町平山)生まれ。
1760(宝暦10)年11月30日―1835(天保6)年11月21日 76歳
江戸時代の医師。世界初の全身麻酔による手術を成功させた「麻酔の父」。
「医聖」と称される。
医家華岡直道の長男として出生。子供の頃から、難しい病気や死んでいく人々を見て、
難しい病気を治せる医者になりたいという志をもつ。23歳の時、京都へ行き医学を学ぶ。
京都遊学3年にして父の死去により、26歳で家業を継いだ。
妻の失明という犠牲を払いながら全身麻酔薬「通仙散」を完成
手術での痛みを和らげ、人命を救いたいという使命から、麻酔薬の開発研究を進め、まんだらけの花を主成分とした薬草に麻酔効果があることを発見。動物での実験で完成。実母と妻が実験台となることを申し出て、数回にわたり人体実験。その間、妻の失明という犠牲を払いながら全身麻酔薬「通仙散」を完成させた。
このエピソードは、和歌山出身の作家・有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」で一躍有名となった。
1804(文化元)年10月13日、60歳の女性に対し通仙散による全身麻酔下で乳癌摘出手術に成功。これは、1846年のアメリカのジエチルエーテルによる麻酔よりも40年ほど前のことであった。麻酔薬の完成によって華岡流外科は手術手技も多彩を加え、従来の外科医が行い得なかった様々な手術法を考案し、相当の成果を挙げた。
民衆に対する医療尊重という理由から、紀洲藩主の招きを再三断わり、特例の藩の侍医待遇となり、
一生を在野にあって診療の第一線で活躍。青洲の名は全国に知れ渡り、
患者や入門を希望する者が彼のもとに殺到した。また、青洲は、門下生の育成にも力を注ぎ、
医塾「春林軒(しゅんりんけん)」を設けた。難しい病気を治し、
人命を救いたいという青洲の大きな志から生まれた数々の業績は今も光り輝いている。
華岡青洲生誕地(和歌山県紀の川市西野山・旧那賀町)
青洲の里(和歌山県紀の川市西野山473)
華岡青洲肖像・和歌山市立博物館
華岡青洲墓所(和歌山県紀の川市西野山)
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