北海道の偉人

【北海道文学の父】有島武郎(ありしま たけお)・北海道の偉人

有島武郎(ありしま たけお)・北海道の偉人/東京の偉人

東京小石川水道町52(東京都文京区水道1)生まれ。

1878(明治11)年3月4日-1923(大正12)年6月9日 46歳

小説家。札幌農学校卒。ハーバード大学などの大学院で学び、ヨーロッパ巡歴をへて帰国。
母校の英語教師を経た後、作家活動に専念。白樺派属し、幅広い教養と知性に基づきキリスト教的な論理と人間の本能や個性の相克を主題とする作品を発表。
晩年は社会主義に共鳴し、北海道にあった農場を小作人へ解放したりしたが、最晩年は虚無的になり、人妻の婦人記者波多野秋子と心中。
代表作『宣言』『カインの末裔』『迷路』『生まれ出づる悩み』『或る女』『惜しみなく愛は奪ふ』。
「北海道文学の父」と称される。

 

北海道文学の父

有島武郎

学習院初等科・中等科を経て、札幌農学校に学び、在学中にキリスト教に入信、内村鑑三の影響を強く受けた。

卒業後、アメリカに留学、この頃から信仰に動揺を来たすとともに学問にも興味を失い、文学書を濫読、特にホイットマンの詩集『草の葉』に傾倒、生涯の愛読書となる。
一方、社会主義にも触れ、クロポトキンの無政治主義に共感、生涯その影響を受けた。

帰国後、母校の農家大学英語教師をして札幌に赴任、神尾安子と結婚したが、その前後から信仰に対する懐疑をいっそう深め、信仰を棄てた。

有島武郎事典
有島武郎研究会 編
勉誠出版
2010-11-15


・・・武郎ほど「愛」について語り続けた人はいないだろう。札幌農学校に入学。ここでキリスト教にふれ入信した武郎が、熱烈にいたったことはよく知られている。だが彼はキリスト教徒時代も棄教後も、終生、愛について思索し、語り続けた。
・・・他者に対する彼の気持ちとして無限の同情、深厚な同情、不偏の同情、平等の同情等々の言葉が時に応じて頻出していることである。・・・棄教によってキリスト教が払い退けられたとき、武郎の愛の思想はどのように変貌したか。

明治43年(1910)4月、武者小路実篤らにより創刊された『白樺』に加入、文筆活動を開始し、思想上でもキリスト教的愛他精神から個性の自由な発達伸張を主眼とする愛己主義に転換した。

大正3年(1914)末、教職を辞して東京に引き上げ、妻の看病と育児のかたわら『宣言』などを発表。大正5年8月に妻を12月に父を病気で失うとともに翌6年から本格的作家生活に入り、矢つぎ早に力作を発表、一躍人気作家となる。
『死と其前後』『カインの末裔』『クララの出家』(以上同6年)、『生まれ出づる悩み』『石にひしがれた雑草』(同7年)など。
その旺盛な筆力は、『或る女』前後編(前編は『或る女のグリンプス』の改作)において頂点に達し、他の追随を許さぬ作風を確立した。


・・・本当の「本格小説」は何かということが話題になった時、『或る女』こそ日本の近代文学における「本格小説」の代表、あるいはその金字塔に推されるべきものだと、すぐさま思ったのである。だがこの作品、あるいはその作者も、いまでは一般文学読者の意識のはるか片隅に押し込められてしまっている。文学史上の知識としてしか存在しなくなってしまっている。
・・・・・
正宗白鳥の名著といってよい『作家論(ニ)』所収の「有島武郎」の章は、『或る女』の評価を一転させた歴史的なエッセイである。・・・
・・・この小説は写実の妙味が全面に満ち溢れて、端役一人でも、決して漠然あらはれてはゐないで、明晰な形を備えて読者の前に生動してゐるのであるが、それにかかはらず、理想化された小説といふ感じが与へられる。ある素材によつて早月葉子といふ人物を作者の狙つた意図にかなふように徹底的につくり上げた感じがする。作者は葉子とともに、世間に対して白刃を揮つて真剣勝負を為続けてゐる。
・・・・・
もう一人だけ、こんどは戦後文学の雄として活躍した野間宏の「有島武郎」から引用してみたい。
有島武郎の『或る女』を、私は日本の長篇小説のなかの中心的作品の一つと考えている。日本近代文学のなかで長篇小説もすでにかなりの数に上っているが、二葉亭四迷の『浮雲』から島崎藤村の『破壊』『家』、田山花袋の『田舎教師』、夏目漱石の『道草』『明暗』など数えて来ても、私は有島武郎の『或る女』がやはりそれらのすぐれた作品群のなかでも、一頭地を抜いて、しっかりとその姿をこの日本のなかに示しているのを見るのである。それはがっしりとした、日本の小説にまれな骨格を持っている。しかもその内に日本に存在するすべてのものを燃やし、とかして、もう一度そのなかから新しい存在をつくることのできるほどの熱と炎をもった火を蔵しているのである。・・・日本に長篇小説の世界を確立することをすすんできている私の眼に、はっきりとして姿を現すのは、この『或る女』だけといってよいかも知れない。

その後も戯曲『三部曲』、長編『星座』、童話集『一房の葡萄』などを書き、長編評論『惜しみなく愛は奪ふ』をはじめとする多くの評論やホイットマンおよびイプセンに関する研究・講演などにおいても、深い学殖と格調の高いヒューマニズムをもって若い知識人をひきつけ、文壇外において特異な地位と名声を獲得した。

しかし、第一次世界大戦後に訪れた深刻な社会矛盾・階級分裂・労働運動・社会運動激化の状況を前にして思想的行き詰まりに陥り、打開策として財産放棄、北海道狩太の有島農場の解放などの挙に出たが根本的解決とはならず、最後は絶望感のうちに大正12年(1923)6月9日人妻波多野秋子と軽井沢の別荘で情死を遂げた。

『有島武郎全集』全16巻などがある。


武郎は創作力衰退の根本原因を現実との妥協によってなるブルジョア的生活にあると見極め、その生活の改造を主張しながら、同時に自分のブルジョア的体質は変えられないと自覚し、その思いもぶちまけていた。しかしそういう矛盾を、やはり生活において突き破ることが彼の自分に課した使命だった。そして北海道の有島農場の解放こそは、その最大の生活改造事業だった。

 

有島武郎ゆかりの地

有島記念館(北海道虻田郡ニセコ町字有島57)

カインの末裔文学碑(北海道虻田郡ニセコ町有島57)

有島農場解放記念碑(北海道虻田郡ニセコ町有島57)

有島武郎文学碑(北海道岩内郡岩内町字敷島内154-3)

有島武郎旧邸(札幌芸術の森・北海道札幌市南区芸術の森2-75)

旧有島家住宅(北海道札幌市厚別区厚別町小野幌50-1)

有島武郎文学碑(大通公園・北海道札幌市中央区大通西9)

有島武郎歌碑(城崎温泉・兵庫県豊岡市城崎町・温泉寺境内薬師堂前)

有島武郎歌碑(鳥取砂丘・鳥取県鳥取市浜坂)

有島武郎終焉地碑(長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢)
有島武郎が情死した「浄月庵」跡に建てられている。

有島武郎墓所(多磨霊園・東京都府中市)

或る女 (新潮文庫)
有島 武郎
新潮社
1995-05-16

 

 

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)
有島 武郎
岩波書店
1988-12-16

 

 

 

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