【Bushido: The Soul of Japan『武士道』の著者】新渡戸稲造(にとべ いなぞう)・岩手の偉人
岩手県盛岡市生まれ。
1862(文久2)年9月1日-1933(昭和8)年10月15日
農政学者、教育者、思想家
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)
英文で武士道!
盛岡藩士の三男として生まれ、9歳のときに叔父の養子となり、上京して外国人英語学校に通学。そして15歳で、札幌農学校二期生として入学し、キリスト教の洗礼も受ける。同級生に内村鑑三がいた。
21歳のとき上京し、東京帝国大学に入学。その面接の際、「太平洋の橋になりたい」と述べたという。入学後、日本の大学に幻滅を感じ、アメリカドイツに私費留学。アメリカでクエーカー教徒に出会い、そこで知り合った米国女性と結婚。
その後帰国するも、病気療養を余儀なくされ、静養中に、英文で「武士道」を著し、日本人の道徳観を広く西洋に紹介し、世界各国でベストセラーとなった。アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトもこの本に感銘を受け、自分の子どもや友人・知人にこの本を配り、読むことを勧めたという。
台湾インフラの父
その後、台湾の総督府民生局殖産課長となり、「糖業意見書」を提出し、台湾において精糖業が盛んになる礎を築く。帰国後、京大法学部教授、一高校長など歴任。キリスト教信仰に基づく教養主義を提唱。高潔な人格と共に青年に強い影響を与え、校風を一変させ、併任の東大教授としても植民地政策を講義。東京女子大初代学長、晩年まで女子教育に尽力。
57歳のときに、第一次世界大戦後の混乱を収拾するために創設された国際連盟事務次長の要職につき、世界の安定に尽力。太平洋問題調査会の日本側理事長になるなど国際的に活躍し、アメリカに渡り各地で中国大陸における日本の立場について理解を求める講演するも、理解は得られなかった。そして昭和8年カナダにて71歳で永眠。旧5000円札の肖像としても有名。
新渡戸稲造ゆかりの地
新渡戸稲造生誕地 盛岡市岩手公園近く新渡戸緑地
十和田市立新渡戸記念館(青森県十和田市)
盛岡市先人記念館(岩手県盛岡市)
花巻新渡戸記念館(岩手県花巻市)
新渡戸稲造墓所 多磨霊園(府中市)
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