青森の偉人

安藤昌益(あんどう・しょうえき)・青森の偉人

安藤昌益(あんどう・しょうえき)・青森の偉人/秋田の偉人

秋田藩生まれといわれているが、定かではない
八戸に町医者として居住。八戸ゆかりの偉人。

1703(元禄16)年頃-1762(宝暦12年10月14日)

羽後国秋田郡比内二井田村(現秋田県大館市二井田)にて没。

江戸時代の医師、社会思想家。
「守農太神」とあがめられた。

医学・本草学等を修めて南部八戸の医師となり、宝暦年間まで生存、その間、長崎に赴いて海外事情を研究。『自然真営道』100巻93冊とこれを要約した『統道真伝』5巻が生涯の主著。

農耕を天然自然の本道として人間生活における基本的重要性を力説、儒仏等の倫理的教説を徹底的に批判して、君主・支配者を耕作農民に寄生する徒食の輩と痛罵、すべての人間が農耕を基礎として平等である「自然世」社会へ帰る事を理想とした。
当時の時代と社会を考えてみれば、このような過激な人間と思想が存在したことが、奇跡である。

明治32年、旧制第一高等学校校長狩野享吉が、昌益の著書を発見したことによってその存在が証明された。

昭和25年、駐日カナダ代表部主席E.H.ノーマンの「忘れられた思想家~安藤昌益のこと」(岩波新書上・下)により、昌益の名前がさらにわれわれに、親しいものとなった。ノーマンは、昌益をとおして、戦後の日本は、外国の模倣による国づくりでなく、自国の歴史を学ぶことによって独自の国づくりをするよう進言している。

「自然真営道」「続道真伝」のなかで、「直耕」という言葉を彼の思想の中心に置いている。直耕とは、みずから農具をとって耕す直接耕作者とその行為のことで、それ以外は一切みとめていない。農民を中心に生産に従事する人を、「真人」と呼んで、耕さないで聖人の教えを売っている儒者は罪人とし、士農工商も否定する。いかなる支配者も寄生者もいない社会、「自然世」こそが、彼の理想の世界であった。
この過激な思想は、青森県八戸市を中心とする多くの弟子に教えつがれたが、時の権力者には知られることはなかった。このことも、彼の存在とともに奇跡であったといえる。

八戸図書館所蔵の藩政日記からは、医者としての確かな腕や、謙譲の美徳を持った人柄を窺い知ることができる。
現在は昌益のエコロジストとしての側面や、現代社会の抱える問題意識に符合する思想が再評価されている。

安藤昌益居住跡標柱(八戸市十六日町22)

安藤昌益思想発祥の地碑・天聖寺(八戸市十六日町27)

安藤昌益石碑・墓所(秋田県大館市仁井田・温泉寺)

安藤昌益研究会・益研ネット

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