1895年-1891年
『砂丘利用研究の先駆者』
北海道大学農学部林学科を卒業し、林学担当の唯一の教官として招かれた。緑化にあたって原勝を悩ませたのは研究文献の不足であった。
「日本では、砂丘の科学的研究が殆ど行われていなかったし、学校の図書館にも『海岸砂丘』など、ドイツ語の原書が二冊あっただけである。東京や京都に行って、文献を持っていそうな学者をたずねて貸してもらったり、アメリカから植物生態学の雑誌を取り寄せたり、初歩から始めるようなものだった」
書物によって知識を高める一方、鳥取県内の主な砂丘地を歩き回って、日本海側の砂丘地の実態を調査した。まず砂の研究から初め、砂の実態を掴んだら砂を防ぐ方法を研究した。研究費や機材、人手も不足し、私費をつぎ込むこともあったという。
開始から8年後の1931年(昭和6年)に基礎研究が一段落し、1932年、8年間の研究を纏めた論文「砂丘造林に関する研究」で林学博士の学位を受けた。
鳥取県内各地の砂丘造林は、この研究が土台となってその後急速に進むが、原勝はその後もフランス海岸松や黒松の植林、地力増進のために落葉広葉樹を混合する方法、砂防垣の実用化などを案出した。
戦後になると鳥取県だけでなく、全国各地の砂丘造林を進める上でも、原勝の研究は大変役にたっており、砂丘にある記念碑には「砂丘はわが心の友」という原勝の言葉が刻まれている。(鳥取県HPより)
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