細井平洲(ほそい へいしゅう)・愛知の偉人
尾張国知多郡平島村(愛知県東海市)生まれ。
1728(享保13)年8月3日-1801(享和元)年8月8日 73歳
儒学者・米沢藩主上杉鷹山の師として有名
農家の子に生まれた。幼少の名を甚三郎と言い,7歳の時から寺子屋へ通って勉強をし、9歳で名古屋に出て学問を積み,その後、京都へ遊学。郷里へ戻り、名古屋の中西淡淵に入門。淡淵のすすめで、詩経を学ぶための中国語習得のため長崎へ遊学。24歳のとき江戸へでて私塾(嚶鳴館・おうめいかん)を開く。
彼の教えは分かりやすく、武士だけでなく、町民や農民にもわかりやすく学問を広めた。やがて米沢藩主上杉鷹山の大切な相談役として重用され、藩財政の建て直しに活躍する。その後、平洲は尾張藩に帰郷し、藩校「明倫堂」を開設し、武士ばかりでなく町人も講義を聴ける日を設けた。「人はみな学ぶことによって正しい人の道を知ることができる」平洲は最後までこの信念を貫き通した。
上杉鷹山のお国入りに際して、平州が与えた言葉。
『勇なるかな 勇なるかな 勇にあらずして何をもって行わんや』
藩政改革にあたって、最も必要なのは勇気です。勇気なくしてどうして政治が施せるのでしょうか、という意味。道を行うには、知・仁・勇の三つの徳が必要だが、まず最初は「勇」をもって始めることが大切であると諭した。内村鑑三は「代表的日本人」の中で、鷹山の師であった平州を『当代最大の学者の一人』であって、『道念(道徳心)の高潔なる人物』とほめたたいている。
細井平州生誕地(愛知県東海市)
細井平洲記念館(愛知県東海市)
平洲記念館名誉館長・童門冬二の平洲塾(東海市)
細井平州墓所 天嶽院(東京都台東区西浅草3-14-1)
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