島根の偉人

小泉八雲(こいずみ やくも)・島根の偉人

ギリシャ・レフカス島生まれ。ギリシア系英人。

1850(嘉永3)年6月27日-1904(明治37)年9月26日 54歳

日本研究家、小説家、随筆家。
日本国籍取得前の名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン。

小泉八雲

 6歳のとき両親が離婚し母と別れ、13歳で左目を失う。19歳でアメリカに渡り、シンシナティで新聞記者となる。1890(明治23)年、特派記者として来日するが、間もなく記者をやめる。アメリカ時代に知り合い、当時文部省の要職にあった服部一三氏らの世話で、島根県松江中学校の英語教師となる。日本のつつしみ深い固有の文化を愛し、自ら日本の生活様式を求めたので、たちまち松江の人々から敬愛されたという。 その頃の「松江日報」は、「……かくの如き良教員を得たるは我が中学校の最大幸福たるものなれば予輩(我々)は県下の為め世人の厚く同氏を待(待遇)せんことを希望せんと欲する(望む)ものなり」と記している。

 松江で、元士族の娘・小泉セツと結婚。1891(明治24)年11月、熊本の第五高等学校教師となる。熊本へ来て1年後、長男一雄が生まれ、国籍の問題を考えはじめる。熊本での3年の契約期間が終わると、神戸の英字新聞クロニクス社の論説記者となる。神戸にいた1896年1月、45歳のとき日本へ帰化して、小泉八雲となった。小泉は夫人の姓、八雲は出雲の『八雲立つ……』の歌に因んだものであった。

 1896年、東京帝国大英文科の講師に招かれる。1904年、早稲田大学講師。1904年9月狭心症のため東京の自宅で永眠。54歳。代表作に「怪談」、「日本の面影」、「心」、「日本雑録」など。日本の研究・紹介に貢献した偉人である。(参考・焼津信金HP、小泉八雲の一生

小泉八雲記念館・旧居(島根県松江市北堀町)

松江市HP

焼津小泉八雲記念館(静岡県焼津市三ケ名1550・焼津市文化センター内)

小泉八雲旧居跡(神戸市中央区下山手通り)

小泉八雲旧居(熊本市安政町)

小泉八雲旧居跡(新宿区富久町7-30 成女学園内)

小泉八雲旧居跡・終焉の地(新宿区大久保1-1-21 大久保小学校校門脇)

小泉八雲胸像(新宿区大久保1-7 小泉八雲記念公園内)

小泉八雲墓所 雑司が谷霊園(東京都豊島区南池袋4丁目)

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