和歌山市橋丁生まれ。
1867(慶応3)年5月18日-1941(昭和16)年12月29日 75歳
世界的博物学者。日本民族学の父。
自然保護運動の先駆者。
「日本人の可能性の極限」とまで言われた偉人。
近代日本の黎明期である明治、大正、昭和初期の時代にあって、幅広い国際的な業績の数々を残し、柳田国男をして”日本人の可能性の極限”と評させた。
海外で15年におよぶ研究生活を送り、科学雑誌「ネイチャー」などに寄稿し名を高める。帰国後は郷土和歌山・田辺に住み、粘菌や民俗の研究に没頭し、自然保護などにも尽力した。雑誌「太陽」に連載した「十二支考」が代表作。
1929(昭和4)年6月1日、昭和天皇行幸の際に熊楠は神島にて天皇をお迎えし、粘菌や海中生物について進講した。その際、熊楠が、ミルクキャラメルの箱に入れた粘菌の標本を献上したのは有名である。しかし、昭和天皇は大いに喜ばれたという。
昭和天皇は、熊楠死後の1962(昭和37)年5月、再び南紀行幸した際、次の御歌を読まれた。
『雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ』
南方熊楠生誕地(和歌山市橋丁)
南方熊楠記念館(和歌山県西牟婁郡白浜町)
南方熊楠旧居(和歌山県田辺市)
南方熊楠顕彰館(和歌山県田辺市中屋敷町36)
(株)世界一統・南方熊楠の父親が創業した酒造会社
南方熊楠墓所 和歌山県田辺市・高山寺
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