豊後国(大分県国東市安岐町富清)生まれ。
1723(享保8)年9月1日-1789(寛政元)年4月9日 66歳
豊後の儒医。豊後聖人と呼ばれる。
広瀬淡窓・帆足万里とともに「豊後の三賢」。
天文の知識に深く、儒学と洋学の知識をあわせた自然哲学である条理学を提唱した。著書に、哲学原理の『玄語』、道徳説の『敢語』、物価論の『価原』など。
三度旅をした以外は、故郷の国東半島を離れることなく、医業の傍ら学問を続けた。
三浦梅園資料館(大分県国東市安岐町富清2507-1)
資料館となりに梅園旧宅ものこされている。三浦梅園墓所(大分県国東市安岐町富清)
江戸人物科学史―「もう一つの文明開化」を訪ねて (中公新書)
こちらもクリックおねがいします!!
↓
にほんブログ村
この記事へのコメントはありません。