伊勢松阪(三重県松阪市)生まれ。
1730(享保15)年6月21日-1801(享和元)年9月29日
江戸時代の国学者、古典研究家。
荷田春満、賀茂真淵とともに「国学三大人」のひとり。
賀茂真淵、契沖とともに「三哲」のひとり。
木綿商の家に生まれるが、23歳で医師となるため京都に遊学し、26歳で医師の免許を得た。
宝暦7年(1757)松阪に帰り、町医者となる。
1863年、松坂に立ち寄った賀茂真淵に対面してその門に入り、国文学の研究から神話・神道の研究に移っていった。宣長34歳のときである。
この時の二人の対面が佐々木信綱(ささき のぶつな)の名文で知られ、小学校国語読本にも載せられた「松阪の一夜」である。
宣長は、神代では神は人であり、神と神わざは人びとが見聞触知しえた経験的事実であると考え、『古事記』の神話を実証的に研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。
日本固有の道を明らかにする宣長の古道説が展開された。
また、宣長は「源氏物語」や和歌を深く研究し、物語や歌は「もののあわれを知る」ことがテーマであるという文学論を大成する。「もののあわれ」とは物や事に触れて揺れ動く人の心を言うことばで、「もののあわれを知る」極地が恋であると説いた。
主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。
鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。
しき嶋の 山跡ごゝろを人とはゞ 朝日にゝほふ やま桜花
本居宣長記念館(三重県松阪市殿町1536-7)
本居宣長先生修学地(京都市下京区綾小路通新町東入南側)
本居宣長像(松阪第一小学校・三重県松阪市殿町1349-1)
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