鹿児島市生まれ。
1830(天保元)年8月10日―1878(明治11)年5月14日 49歳
幕末薩摩藩の下級武士、明治初期の政治家。「維新の三傑」。
西郷隆盛らとともに薩長同盟の中心となって倒幕運動に邁進。維新後は,木戸孝允とともに新政府を指導し、版籍奉還・廃藩置県に努力し、1871(明治4)年に大蔵卿となり、殖産興業・地租改正を指導。岩倉使節団の一員として外遊後、強い権限をもった内務省を創設して、内務卿として政府の事実上のトップとる。征韓論に反対し、自由民権運動をおさえて佐賀の乱・台湾出兵・西南戦争などにも手腕をふるい、西郷が西南戦争で自刃した翌年に暗殺される。
大久保が暗殺された折、ロンドンタイムスは「大久保利通氏の死は日本国の不幸である」と報じたという。
大久保利通生誕地 鹿児島市加治屋町
大久保利通銅像 鹿児島市西千石町1番(甲突川左岸緑地内)
維新ふるさと館 (鹿児島市加治屋町23番1号)
大久保利通旧邸(京都市上京区石薬師通寺町東入南側)
大久保利通墓所 東京都港区青山霊園
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