佐久間象山(さくま・ぞうざん)・長野の偉人
信州松代(長野市松代町)生まれ。
1811(文化8)年3月22日-1864(元治元)年8月12日 54歳
幕末期の兵学者、思想家。
信濃国松代藩士の子として生まれる。幼少より儒学、和算を学び、江戸に出て佐藤一斉に学んだ。1839年江戸に私塾象山書院を開く。1842年藩主・真田幸貫が海防掛老中になると、海外事情の研究を命ぜられ、江川太郎左衛門に西洋兵学を学ぶ。また、藩主あてに「海防八策」を提出。1850年、深川藩邸で砲学の教授をはじめ、勝海舟・吉田松陰・橋本佐内・河井継之助ら多くの有能な人材を教えた。
ペリー来航に際しては、老中阿部正弘に「急務十条」を提出。1854年、吉田松陰の密航事件に連座し、その後8年間松代で蟄居した。1864年、幕命で上京し、開国論の立場から公卿、諸侯の間を奔走するが、同年、京都三条木屋町にて尊攘派に暗殺された。
なお、象山の呼び名については、地元では『ゾウザン』と呼ぶ。
佐久間象山顕彰碑(野毛山公園・神奈川県横浜市西区老松町20)
佐久間象山寓居跡(京都市中京区)
佐久間象山遭難碑(京都市中京区三条通木屋町北西角)
佐久間象山墓所(妙心寺・京都市右京区)
佐久間象山墓所(蓮乗寺・長野県長野市松代町)
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