岐阜の偉人

佐藤一斎(さとう いっさい)・岐阜の偉人

岩村藩の家老佐藤信由の次男として、江戸浜町の下屋敷に生まれる。
岩村藩ゆかりの偉人。

1772(安永元年10月20日)-1859(安政6)年9月24日 88歳
江戸後期の儒学者。

幼くして読書を好み、水練・射騎・刀槍などに優れ、小笠原流礼法を身につけていた。34歳で朱子学の宗家林家の塾長となり、大学頭林述斎と多くの門下生の指導に当たった。55歳のとき、岩村藩主となった松平乗美の老臣に加えられ、「重職心得箇条」「御心得向存意書」を著し藩政に尽力した。1841(天保12)年、述斎が74歳で没したため、70歳で幕府の学問所昌平黌の儒官(総長)を命じられた。

1854(安政元)年、83歳のとき、日米和親条約締結に際し、時の大学頭林復斎を助け、外交文書の作成などに尽力した。1859(安政6)年9月24日、昌平黌の官舎で没(88歳)。まさに安政の大獄で揺れる最中、明治維新まで9年の激動の時代であった。

門下生には、佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山などがいる。 
 
一斎の教えが、幕末から明治維新にかけ、新しい日本をつくっていった指導者たちに多大な影響を与えたと言われている。
 
佐藤一斎の言葉として有名な「三学戒」
『少にして学べば、則ち壮にして為すことあり壮にして学べば、則ち老いて衰えず老いて学べば、則ち死して朽ちず 』は言志後録第六十条の言葉である。

「言志四録」とは、「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋(てつ)録」の全4巻を総称したものであり、内容は学問、思想、人生観など多岐にわたり、修養処世の心得が1,133条にわたって書かれた随想録である。

「言志録」の書名の由来は定かではないが、『書経』舜典に「詩は志を言い、歌は言を永くす」とか、『論語』公冶長篇に「盍(なん)ぞ各々なんじの志を言わざる」などから、『志を述べる言葉をとどめ残すもの』という意味からではないかと推測される。(岩村町HPより)

岩村歴史資料館(岐阜県恵那市)

佐藤一斎・碑文めぐり(岐阜県恵那市)

佐藤一斎・顕彰碑、座像(岐阜県恵那市)

佐藤一斎顕彰会

佐藤一斎墓所 深広寺(東京都港区六本木7-14-6)

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