【南極探検家】白瀬矗(しらせ のぶ)・秋田の偉人
1861(文久元)年7月20日―1946(昭和21)年9月4日(86歳)
秋田県由利郡金浦村(現秋田県にかほ市)生まれ。
探検家。日本人で初めて南極探検をする。
南極観測船「しらせ」
軍人となり、仙台の師団在職時、北極探検を構想。陸軍中尉で予備役編入となると、郡司成忠の千島探検隊に参加。その後、北極点到達計画を実施に移すが、日露戦争が勃発して中断。
1909年、アメリカ隊が北極点到達に成功したことを知ると、目標を南極に変更。1910年11月29日に26人のメンバーと開南丸で出発。1912年1月16日に、南極に上陸。ちょうどアムンゼンやスコット探検隊も南極点を目指しているときだった。しかし、食糧不足などにより、南緯80度5分の地点で断念。同地域を大和雪原と名付けて帰国した。一名の死傷者も無く帰国し、その事業は当時の日本の画期的な壮挙として内外に知られた。
その後は、借金して得た探検費用の返済に苦悩、各地で講演などを行った。晩年は不遇だったが、後にその功績を評価して、彼の名は南極観測船の名前「しらせ」となったのではないかと言われている。
昭和21年愛知県の二女宅で天寿を全うした。愛知県幡豆郡吉良町に「大和雪原開拓者之墓」の墓碑がある。
白瀬矗生家 浄蓮寺(秋田県にかほ市)
白瀬南極探検隊記念館(秋田県にかほ市)
白瀬矗墓所 瀬門神社(愛知県幡豆郡吉良町)
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