江戸牛込の小浜藩下屋敷に生まれる。
1733(享保18年9月13日)-1817(文化14年4月17日) 84歳
江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩医。
オランダ医学と解剖を取り入れた『医聖』。
小浜藩医杉田玄甫の子として生まれる。医家としては、玄白で3代目にあたる。
下屋敷で育ち、7歳頃には一家で小浜へ移り、父の玄甫が江戸詰めを命じられる13歳頃まで過ごす。青年期には家業の医学修行をはじめ、蘭方外科を幕府の奥医師西玄哲に、漢学を宮瀬龍門に学ぶ。
1765(明和2)年、藩の奥医師となる。1769(明和6)年には父の玄甫が死去。家督と侍医の職を継いだ。
1771(明和8)年、千住骨ヶ原で腑分(解剖)を見、オランダの解剖図の正確さに驚嘆、これをきっかけに、中津藩医前野良沢・小浜藩医中川淳庵らとドイツのクルムスの著書を蘭訳した『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、1774年(安永3年)に『解体新書』として出版。日本の医学の進歩に著しく貢献した。
晩年には回想録として『蘭学事始』を執筆し、後に福沢諭吉により公刊された。
杉田玄白生誕地(新宿区矢来町38)
杉田玄白ゆかりの地(福井県小浜市)
観臓記念碑・回向院(小塚原回向院)・荒川区南千住5-33-13
蘭学事始の地(東京都中央区明石町10)
杉田玄白墓所・久遠山栄閑院(猿寺)・港区虎ノ門3-10-10
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