滋賀の偉人

杉浦重剛(すぎうら じゅうごう)・滋賀の偉人

杉浦重剛(すぎうら じゅうごう)・滋賀の偉人

膳所城下別保(滋賀県大津市)生まれ。

1855(安政2年3月3日)-1924(大正13)年2月13日 70歳

教育家、思想家。号は天台または梅窓。

膳所藩の儒者の子に生まれる。
膳所藩藩校で学んだ後、藩の貢進生として大学南校に派遣された。

1876(明治9)年文部省留学生として、イギリスに留学し、物理、化学、数学などを学ぶ。1880(明治13)年、帰国。

1882(明治15年)東京大学予備門(後の第一高等学校)長に就任。文部省参事官、専門学務局次長など学校教育行政を担当し、高等教育振興に尽力。

1885(明治18)年に辞職、辞職後は主に在野で多彩な言論・教育活動を行う。

1888(明治21)年に三宅雪嶺とともに政教社結成に参加、雑誌『日本人』や新聞『日本』を発刊し、日本主義思想の啓蒙活動を行う。

また、東京英語学校(後の日本中学校)の設立、称好塾を経営し、青少年の教育に尽力し、横山大観、佐佐木信綱、大町桂月、巌谷小波、小川琢治、吉田茂、岩波茂雄ら各界にわたる数多くの人材を輩出した。

1890(明治23)年、衆議院議員当選。翌年、議員を辞す。

のち東亜同文書院長等を経て、大正3年(1914)東宮御学問所御用掛となり儒教的道徳に基づく帝王倫理を進講した。

日本の文化を重んじた日本主義の第一人者。

杉浦重剛が、生涯最も力を注いだのが青少年の教育であった。重剛は教育とは単に知識を得ることではなく、人間形成であると考え、教える立場である自らを厳しく律した。

「人を待つに寛 身を持するに厳」 生涯の座右の銘としたこの言葉には、重剛の教育にかける情熱があらわされている。

杉浦重剛生誕地碑(滋賀県大津市)

杉浦重剛旧宅(滋賀県大津市杉浦町12-11)

杉浦重剛銅像・日本学園<旧日本中学校>(東京都世田谷区松原)

杉浦重剛墓所・伝通院(東京都文京区小石川)

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