山形の偉人

上杉鷹山(うえすぎ ようざん)・山形の偉人

日向高鍋藩江戸屋敷生まれ。

1751(宝暦元年7月20日)-1822(文政5年3月11日) 72歳

江戸中期の大名。出羽国米沢藩の第9代藩主。
江戸時代屈指の名君として知られている。
代表的日本人として世界の人々から崇敬されている。

高鍋藩主・秋月種美の次男として生まれる。
母方の祖母が米沢藩主の娘であったことが縁で、10歳で米沢藩主上杉重定の養子となる。
16歳で元服し、10代将軍徳川家治の一字を賜り「治憲」と名乗り17歳で家督を相続する。鷹山と名乗るのは剃髪した52歳のときから。

鷹山が藩主となった頃の米沢藩は、財政困難に陥っていた。鷹山は直ちに藩政改革に着手し、藩の復興のために生涯を捧げることとなる。
家臣の竹俣当綱(たけのまた まさつな)や莅戸善政(のぞき よしまさ)等を重用し、藩の再建に着手し、積極的な殖産興業政策を実施した。

先代任命の家老らと対立しながらも、自ら倹約を行って土を耕し、帰農を奨励し、作物を育てるなどの民政事業を行った。養蚕・製糸・織物・製塩・製陶など新産業の開発にも力を入れ、自ら先頭にたってその奨励につとめた。

藩士に対しては質素倹約を自ら実践して示し、武術の奨励とともに、藩の学問所を藩校・興譲館(現・県立米沢興譲館高等学校)として細井平州によって再興させ、藩士・農民など、身分を問わず学問を学ばせた。細井平州は鷹山に招かれ儒学的教養を教え、鷹山は平州を生涯の師として仰ぎ、その教えを守った。

 上杉鷹山のお国入りに際して、平州から贈られた言葉。

『勇なるかな 勇なるかな 勇にあらずして何をもって行わんや』

藩政改革にあたって、最も必要なのは勇気です。勇気なくしてどうして政治が施せるのでしょうか、という意味。道を行うには、知・仁・勇の三つの徳が必要だが、まず最初は「勇」をもって始めることが大切であると諭され、鷹山はこの教えを実践した。

1785年(天明5年)に35歳の若さで、家督を前藩主の実子である上杉治広に譲り隠居するが、逝去まで後継藩主を後見し、藩政を実質指導した。このとき治広に贈ったのが「伝国の辞」と呼ばれる、国を治める心得である。

「伝国の辞」

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして、我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして、君の為に立ちたる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有るまじく候事

伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承された。

上杉鷹山の詠んだ和歌。

17歳で藩主になったときの和歌。
「 受次(うけつぎ)て 国の司(つかさ)の身となれば 忘るまじきは 民の父母 」

隠退の際、実子に贈った和歌。
「 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり 」

上杉神社(米沢市丸の内1)

米沢市上杉博物館(山形県米沢市丸の内1-2-1)

籍田(せきでん)遺跡(米沢市遠山町)

上杉治憲敬師郊迎跡・普門院(米沢市大字関根13928)

上杉鷹山倹約誓詞・白子神社(米沢市城北2)

上杉記念館(米沢市松が岬)

鷹山隠居後住居・餐霞館(さんかかん)遺跡(米沢市城南1)

上杉鷹山墓所・米沢藩主上杉家墓所(米沢市御廟1-5-32)

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