秋田の偉人

和井内貞行(わいない さだゆき)・秋田の偉人

秋田県鹿角市生まれ。

1858(安政5)年-1922(大正11)年

十和田湖開発に命を賭けた偉人

 現在十和田湖は、年間200万近い客が訪れる東北有数の観光地であり、そのヒメマス漁獲高も日本屈指の豊かな湖です。しかし百年前までそこは一年の内の半分は雪に覆われた、訪れる人もなく、魚の影すら見えない死の湖だったのです。その死の湖を現在の豊かな湖に変えるため生涯を捧げたのが“十和田湖開発の父”といわれる和井内貞行だったのです。

 和井内がはじめて十和田湖に接するのは、1881年(明治14年)湖畔にあった小坂鉱山に赴任した時です。2500人の鉱山労働者の食事はすべて干物か塩漬け。新鮮な魚を何とかして提供できないものか・・・この夢こそ和井内が生涯をかけて十和田湖の養殖事業に乗り出す契機になったのでした。鉱山に来てから3年ののち、彼ははじめて鯉の稚魚600匹を手に入れ湖水に放流します。この日こそ十和田湖養魚の歴史の第一頁であるとともに、和井内貞行試練のはじまりの日でもあったのです。その後12年間に放流した鯉の数は3万匹。しかし順調に育っても群れる習性のない鯉の捕獲は困難を極め、最初の試みは失敗に終ってしまうのです。

 1897年(明治30年)鉱山を退職した和井内は本格的に養魚事業に取り組みます。次の標的はカワマスでした。日本各地の孵化場を見学し、長男を東京の水産講習所に送るなどして、十和田湖にマスの孵化場を自費で作り、カワマスの稚魚を放流し一家の浮沈をかけたのでした。2年がたち3年が過ぎていきます。しかし網にかかったのは僅か数匹、カワマスもまた失敗したのでした。その頃彼は北海道支笏湖で養殖されているヒメマスのことを知ります。そして三度目の挑戦がはじまります。全財産をはたいてヒメマスの卵を購入し、卵の黄身を餌に孵化させ、5センチほどに成長した稚魚5万匹をはじめて放流したのは1903年春でした。そして2年半。1905年秋、風が全くないのに十和田湖の湖面はさざなみで揺れています。ヒメマスが産卵のため大挙して浅瀬に押し寄せてきたのです。養魚を志して22年、和井内貞行の血の吐くような努力がとうとう実ったのでした。

 土地の人々は今でも、十和田のヒメマス一匹一匹の中に、和井内貞行の情熱が刻みこまれていると言います。(北東北こだわり百科HPより)

鹿角市先人顕彰館(秋田県鹿角市)

和井内神社(秋田県小坂町)

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