愛媛の偉人

正岡子規(まさおか しき)・愛媛の偉人

伊予国温泉郡藤原新町(愛媛県松山市)生まれ。

1867(慶応3年9月17日)-1902(明治35)年9月19日 36歳

明治の俳人、歌人、随筆家。
『近代俳句の父』とよばれる。

与謝蕪村や万葉集など埋もれていた作家や作品を発掘した。
「柿くへば鐘がなるなり法隆寺」は有名。

正岡子規1
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)

1867(慶応3)年9月17日 松山城下の藤原新町に生まれる。

1880(明治13)年 松山中学校(現松山東高等学校)に入学。在学中に、秋山真之・勝田主計らと親交を深める。

1883(明治16)年 叔父の加藤恒忠を頼って上京。

1884(明治17)年 東京大学予備門に入学。

正岡子規2
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)

1888(明治21)年 旧松山藩主久松家の創設した常盤会寄宿舎に入舎。初めて喀血する。

1889(明治22)年 喀血が1週間続き、子規と号す。

1890(明治23)年 帝国大学文科大学哲学科に入学。やがて国文科に転科。

1892(明治25)年 新聞「日本」に紀行文や俳句の話を連載。肺病を発病。

1893(明治26)年 大学を中退。

1895(明治28)年 日清戦争の従軍記者として清国の金州取材。日本へ帰る途中、喀血して帰松し、松山中学教師夏目漱石の下宿「愚陀佛庵」で療養しながら、「松風会」の同人らと俳句革新を開始。

1896(明治29)年 脊椎カリエスを併発。

1897(明治30)年 松山での『ほとゝぎす』発行を援助。

1898(明治31)年 『歌よみに与ふる書』を著し、短歌革新を唱え、歌会と万葉集輪講会開催。

1900(昭和33)年 写生文を提唱し文章会「山会」を開催。

1902(明治35)年9月19日36歳で永眠。墓所は、東京都北区の大龍寺。

秋山真之とは愛媛一中、共立学校で同級。共立学校における子規と秋山の交遊を司馬遼太郎が描いたのが小説「坂の上の雲」。秋山は松山在住時からの子規の友人であり、東大では夏目漱石と同窓であった。

正岡子規

『坂の上の雲』歴史紀行 (JTBのMOOK)
『坂の上の雲』歴史紀行 (JTBのMOOK)

子規生誕地(松山市花園町3番地5号)

正岡子規旧邸跡(松山市湊町3)

松山市立正岡子規博物館(愛媛県松山市道後公園1-30)

愚陀仏庵(松山市一番町3-3-7)

子規旅立ちの像・松山市立番町小学校(松山市二番町4-6-1)

子規堂(松山市末広町16-3)

の・ボールミュージアム(松山市市坪西町625-1・松山坊ちゃんスタジアム内)

坂の上の雲ミュージアム(松山市一番町3-20)

愛媛県生涯学習センター・愛媛人物博物館(松山市上野町甲650番地)

子規庵(東京都台東区根岸2-5-11)

正岡子規国際俳句賞

正岡子規墓所・大龍寺(東京都北区田端4-18-4)

仰臥漫録 (岩波文庫)
仰臥漫録 (岩波文庫)

墨汁一滴 (岩波文庫)
墨汁一滴 (岩波文庫)

子規句集 (岩波文庫)
子規句集 (岩波文庫)

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

坂の上の雲 (NHKシリーズ NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック)
坂の上の雲 (NHKシリーズ NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック)

坂の上の雲 第1部―NHKスペシャルドラマ・ガイド (教養・文化シリーズ)
坂の上の雲 第1部―NHKスペシャルドラマ・ガイド (教養・文化シリーズ)

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