茨城の偉人

藤田東湖(ふじた とうこ)・茨城の偉人

水戸城下(茨城県水戸市梅香町)生まれ。

1806(文化3年3月16日)-1855(安政2年10月2日) 50歳

幕末の水戸藩の政治家、水戸学の学者・実践行動家。
9代水戸藩主斉昭の側近。尊皇攘夷思想を広めた人物として有名。
戸田忠太夫と水戸藩の双璧をなし、『水戸の両田』と称される。
また、水戸の両田に武田耕雲斎を加え、『水戸の三田』とも称される。

水戸学の基礎を築いた理論家・藤田幽谷の子として生まれる。
父の薫陶を受けて成長、第9代水戸藩主徳川斉昭の側近として、水戸学の実践行動家として生きた。

青年期に彰考館に勤め、やがて彰考館総裁となる。そののち郡奉行(郡の農政担当官)、江戸通事、側用人(藩主政務補佐)といった重職を勤め、斉昭が幕府海防(対外防御整備担当)参与となると海防掛(係)となる。

東湖は、斉昭の藩主就任運動で活躍して以来、常に斉昭の側近として、戸田忠太夫らとともに水戸藩の「天保の改革」を推進し、斉昭が幕府より処分を受け失脚すると、同様に処分を受け、斉昭が復権すると東湖も復権している。

東湖はまた行政家としてだけでなく、他藩士との交流を通して尊皇攘夷思想を広め、東に水戸藩ありと印象づけた人物でもある。

藩校弘道館の開校理念を記した『弘道館記』の解説書『弘道館記述義』を著しているが、同書は会沢正志斎の『新論』とともに水戸学の理念を説いたものとして知られている。

江戸を襲った安政大地震(1855年)の際、一度は脱出するも火鉢の火を心配した母親が再び邸内に戻ると東湖も後を追う。落下してきた梁(鴨居)から母親を守る為に自らの肩で受け止め、何とか母親を脱出させることに成功するが、自身は力尽き下敷きとなって圧死する。享年50。

水戸学の思想は尊皇攘夷という言葉で表される。水戸学と水戸藩はこの思想の魁(さきがけ)となったため、明治維新の震源地といわれることもある。
「尊皇攘夷」はやがて西国雄藩の志士たちにより「尊皇倒幕」へと変わるが、そもそもの水戸学の尊皇攘夷思想は「尊皇敬幕」であった。水戸藩はあくまでも徳川御三家の一つとして天皇を頂点とした幕府・藩の体制を国の基礎として、その体制を維持しようと考えていたのである。

また、攘夷がいつの間にか影を潜め開国へと移るなかで、水戸藩は攘夷にこだわりつづけてもいた。最も時代の先端にあった水戸藩の尊皇攘夷思想は、他藩の思惑に対応しきれず、加えて藩内での抗争で人材を失ったことがひびき、明治維新において大きな力をふるうことができなくなっていった。

西郷隆盛は、先輩として最も尊敬した人物として、東湖の名をあげている。

藤田東湖生誕地(水戸市梅香町)

水戸弘道館(水戸市)

彰考館・徳川博物館(水戸市)

幕末と明治の博物館(茨城県東茨城郡大洗町磯浜町8231)

藤田東湖護母致命の処・水戸藩邸跡(東京都文京区後楽1-3-40)

藤田東湖墓所・常磐共有墓地(水戸市松本町)

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