栃木県日光市生まれ。
1833(天保4)年-1888(明治21)年 55歳
那須疎水の開削を実現した偉人
大田原市の印南家に養子に入り、県の要職等を歴任した後、1877(明治10)年から矢板武とともに那珂川から鬼怒川にいたる運河計画に尽力した。
1880(明治13)年には那須開墾社を組織して、那須野が原の開拓に努力を重ね、1885(明治18)年に那須疎水の開削を実現させた。
那須野が原の一画、西那須野町の烏ヶ森丘上には顕彰碑が建立されている
烏森神社(栃木県須野塩原三区町635番地)
那須野が原博物館(栃木県那須塩原市三島5-1)
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