宮崎の偉人

石井十次(いしい じゅうじ)・宮崎の偉人

日向国児湯郡上江村馬場原(宮崎県児湯郡高鍋町馬場原)生まれ。
石井十次生誕地(宮崎県児湯郡高鍋町馬場原)

1865(慶応元)年5月5日-1914(大正3)年1月30日 49歳

日本で最初に孤児院を創設。日本福祉事業の先駆者。
『児童福祉の父』と言われる。

高鍋藩の下級武士の子に生まれる。
父が西南戦争で西郷軍に加わったこともあり、西郷隆盛を崇拝する環境で少年時代を過ごした。

攻玉社で学んだ後、明治15年頃、医師の萩原百平からキリスト教の感化を受ける。済世救人を志し、岡山甲種医学校に入学。在学中の明治17年、岡山基督教会で金森通倫から洗礼を受け、キリスト教に入信した。

新島襄の「同志社大学設立趣意書」に触発され、「馬場原教育会」を設立、貧しい子どもたちの救済教育を試みた。

明治20年4月20日、岡山の代診所にいたとき、隣の大師堂に泊まっていた流浪の巡礼の子を預かり養育したことから孤児救済を決意し、同年9月、岡山市の三友寺を借りて、孤児教育会(後の岡山孤児院を創設)を設立した。

当時、医学生だった十次は、医学の道か伝道・孤児救済の道かの二者択一を迫られ、苦悩の末、明治22年1月、医書を焼いて孤児救済に生涯を捧げることを決意したという逸話がある。

明治23年に岡山孤児院を創設。孤児が働きながら学び独立できるように、保護教育体制を整えた。
岡山孤児院跡(岡山市門田屋敷)

明治25年には、前年の濃尾地震に被災した孤児のため名古屋市に孤児院を開設(翌年には閉鎖)。

明治27年には、郷里の日向茶臼原に開墾農場を設け、孤児の労働による自給自足の完全な独立を宣言、また無制限収容も宣言した。

明治31年、私立岡山孤児院尋常高等小学校を設立。大原孫三郎と知り合う。

東北大凶作の起きた明治39年には、1200人の孤児を擁した。

大正2年、私立茶臼原尋常小学校を設立。

晩年には都市スラムの母子保護に目を向け、その救済事業として、大阪南部に大原孫三郎とともに、同情館、夜学校、保育所を開設した。

大正3年、持病の腎臓病が悪化し、茶臼原孤児院にて永眠。享年49。

1990年に石井十次顕彰会により石井十次賞が創設され、毎年、石井十次の精神を継承し福祉活動に尽力している団体にこの賞が贈られている。

「なんじ、自ら茶臼原にあり、鍬鎌主義を実行し理想の国を建設すべし。理想の国とは何ぞや、いわく、
 一 私心私欲なきものの国なり。
 一 私有財産なき国なり。
 一 国民は、ことごとく鍬鎌主義をもって労働する国なり。
 一 神様を中心とする国なり。」

石井十次記念館・記念聖園(岡山市門田本町)

石井十次胸像・岡山博愛会病院(岡山市門田屋敷1)

石井記念友愛社・資料館(宮崎県児湯郡木城町大字椎木644-1)

石井十次像(高鍋町上江・中央公園)

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