高知の偉人

ジョン万次郎(ジョン まんじろう)・高知の偉人

ジョン万次郎(ジョン・まんじろう)・高知の偉人

土佐国中浜村(高知県土佐清水市)生まれ。

1827(文政10年1月1日)-1898(明治31)年11月12日 71歳

はじめてアメリカ本土の土を踏んだ日本人。
波乱万丈の人生を送り幕末の日本で活躍した通訳・教師。

本名、中濱万次郎(なかはままんじろう)。
貧しい漁師の次男に生まれる。

14歳の時に漁師の手伝いで漁に出たあと遭難し、奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島の鳥島に漂着した。そこでアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に仲間と共に救われる。当時の日本は鎖国の時代で、外国船は日本に近づくことさえ難しく、万次郎たちは日本に帰ることができなかった。

この船のウイリアム・H・ホイットフィールド船長(当時36歳)は、5人の漂流者たちを安全なハワイへと連れて行くが、万次郎はここで1人アメリカへ渡る決心をする。万次郎の鋭い観察力と前向きな行動力は船長らに認められ、早速、ジョン・ハウランド号からとった「ジョン・マン」という愛称をつけられた。

1843年、万次郎が救出されてから2年後、船はアメリカ最大の捕鯨基地、マサチューセッツ州・ニューベットフォードに帰港。万次郎は日本人として初めてアメリカ本土の土を踏んだ。

ホイットフィールド船長は、誠実でたくましく働き者のジョン・マンを我が子のように愛し、ふるさとのフェアーヘブンに連れ帰って、英語、数学、測量、航海術、造船技術などの教育を受けさせた。

その後、世界の各地を航海した万次郎は、その後船を購入しハワイに寄港、元の仲間と再会し、1851年2月、2人の仲間とともに万次郎は琉球(沖縄県)に上陸した。漂流から10年後のことであった。

約半年の間、琉球に止められた後、薩摩、長崎へと護送されて取り調べを受け、翌年の夏ようやく土佐へ帰ることができた。土佐藩より最下級とはいえ士分として取り立てられ、身分制度の特に厳しかったこの時代に、異例の出世を果たす。

1853年、ペリー来航で、幕府に召聘され直参の旗本となった。この際、生れ故郷の地名を取って「中浜」の姓が授けられた。
その後、翻訳、造船、航海、測量、捕鯨などを主な仕事として勤めるが、1860年、万次郎33歳の時、幕府は「日米修好通商条約」批准のために初の公式海外使節団をアメリカに送ることになり、この時、万次郎は随行艦「咸臨丸」に乗って通訳として、また航海士として活躍した。

帰国後は、小笠原の開拓調査、捕鯨活動、薩摩藩開成所の教授就任、上海渡航、明治政府の開成学校(東京大学の前身)教授就任、アメリカ・ヨーロッパ渡航とめまぐるしく働き続け、44歳で病に倒れて以来隠遁生活を余儀なくされ、71歳でその生涯を閉じた。

中浜万次郎の取り調べに立ち会い、その話を『漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)』にまとめた河田小龍は、中浜万次郎から聞いた西洋事情を坂本龍馬に伝えたといわれている。

ジョン万次郎生誕地記念碑(土佐清水市中浜)

ジョン万ハウス(土佐清水市足摺岬482-1)

中浜万次郎銅像(土佐清水市足摺岬)

中浜万次郎宅跡(東京都江東区北砂1-3)

中浜万次郎墓所・雑司が谷霊園(豊島区南池袋4)

ジョン万次郎漂流記 (偕成社文庫)

ジョン・マン 波濤編 (100周年書き下ろし)

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