岡山の偉人

緒方洪庵(おがた こうあん)・岡山の偉人

備中国足守藩(岡山県岡山市足守)生まれ。

1810(文化7年7月14日)-1863(文久3年6月10日) 54歳

幕末の蘭学医、蘭学者、教育家。
幕末における日本の蘭医学者の第一人者。

備中国足守藩士の3男として生まれる。

1825(文政8)年、大坂蔵屋敷留守居役となった父と共に大坂に出る。 中天游(なか てんゆう)の私塾「思々斎塾」にて4年間、蘭学、西洋医学の基礎を学ぶ。

1831(天保2)年、江戸へ出て坪井信道に学び、さらに宇田川玄真にも学んだ。

1836(天保7)年、長崎へ遊学しオランダ人医師ニーマンのもとで医学を学ぶ。この頃から緒方洪庵と名乗ったという。医術を極め2年後の1838(天保9)年に帰阪した。

帰阪後、瓦町で医業を開き、同時に、「適々斎塾(適塾)」という蘭学塾を開いた。
1845(弘化2)年には入門者も多くなり、手狭となったため、過書町(現・大阪市中央区北浜)に町家を購入して移転した。この建物が今日、史跡・文化財に指定されている適塾であり、現存するわが国唯一の蘭学塾の遺構である。

1849(嘉永2)年には、古手町(現・大阪市中央区道修町)に「除痘館」を開き、牛痘種痘法による種痘を始め、種痘事業の発展に尽くした。

1862(文久2)年、幕府の度重なる要請により奥医師兼西洋医学所頭取として、江戸に出仕する。

文久3年(1863)年、江戸の医学所頭取役宅で突然喀血し窒息により死去。

日本最初の病理学書「病学通論」、コレラの病理・治療・予防法を書いた「虎狼痢治準」を著わすなど、日本医学の近代化に努めた。

また、適塾から福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など、幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出した。

福澤諭吉が適塾に入塾していた時に腸チフスを患い療養していたとき、洪庵が彼を手厚く看病し治癒し、諭吉はこれを終生忘れなかったという。

緒方洪庵生誕地(岡山市足守)

適塾(大阪市中央区北浜3-3-8)

大阪大学・適塾HP

緒方洪庵墓所(大阪市北区同心1丁目)

緒方洪庵墓所・高林寺(東京都文京区本駒込1)

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