薩摩藩主(鹿児島市)生まれ。
文化6年(1809)9月28日-安政5年(1858)7月16日 50歳
11代薩摩藩主。
松平慶永(福井藩主)、山内容堂(土佐藩主)、伊達宗城(宇和島藩主)らと並んで「幕末の四賢侯」といわれる。
(幕末・明治・大正 回顧八十年史より)
藩政改革派を伴い、中央政界でも活躍。徳川斉昭・老中阿部正弘・松平慶永・松平宗城ら諸侯と親交を結び、その国際的見識を高く買われた。
また、洋学に深い関心を示し、洋式紡織・洋式造船・反射炉・ガラス製造工場の建設や銃砲・火薬・硝子製造など行い、それら洋式工場群を集成館と名付けた。
ペリー来航以後の難局打開には、内においては公武合体体制の確立、外に対しては開国すべきだと唱えた。ところが1858年(安政5)4月、井伊直弼が大老となり、幼年の徳川慶福を将軍継嗣とし、日米修好通商条約の無勅許調印を強行し、これに反対する諸侯や朝臣の弾圧を始めた。このため、孝明天皇の密旨を奉じて、率兵上京しようとしていたが、急死。照国神社に祀られている。
志半ばで没したが、斉彬の抱いた尊王の大志は薩摩藩勤王運動の原点となった。
仙巌園(鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1)
尚古集成館(鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1)
照国神社・島津斉彬銅像(鹿児島県鹿児島市照国町19-35)
島津斉彬公御陣屋跡(鹿児島県鹿児島市下荒田2・天保山中学校内)
黎明館(鹿児島県鹿児島市城山町7-2)
島津斉彬墓所(鹿児島市池之上町・玉龍山福昌寺跡)
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