滋賀の偉人

安藤博(あんどう ひろし)・滋賀の偉人

滋賀県膳所町(滋賀県大津市)生まれ。

1902(明治35)年―1975(昭和50)年 74歳

16歳で『多極真空管』を発明した、天才少年発明家。
『東洋のマルコーニ』、『日本のエジソン』とよばれた。

琵琶湖畔膳所町にて、内務省技官の子に生まれる。
小学校のとき、マルコーニの伝記に感動し、機械いじりが大好きとなった。

16歳で通信機器の心臓部である「多極真空管」を発明、特許を出願し、その発明のニュースは新聞紙上で報じられ、天才少年発明家として一躍時の人となった。

早稲田大学理工学部に進学し、1922(大正11)年には早大出版部より 「無線電話」 を著作発行、無線放送の技術的方面を解明した一般向け技術解説書として数十版を重ねる大ベストセラーとなった。

その本の収入で、憧れのエジソンやマルコーニに会うことを思い立ち、世界旅行を敢行し、彼らとの面会を果たした。

安藤の発明は、「多極真空管」のほか、「テレビカメラ」、「直列変調放送機」、「国際電話の短波送信機」など1000以上に及ぶ。

そして、自著ではじめて「放送」という語を用い、ラジオ・テレビの放送技術の進展に主導的な役割を担ったのである。

「無線電話」のほかにも、多数の著作を刊行して電波科学技術の啓蒙に資すると共に放送事業開設の機運を作ることに貢献した。

1939(昭和14)年5月には、日本十大発明家宮中賜餐(第2回十大発明家ともよばれる※)の1人に列せられ、三島徳七、岡部金次郎、大河内正敏らと共に栄誉を授けられた。

1952(昭和27)年3月より同年6月に至る間、わが国テレビ創始発明者としてテレビジョン放送電波基準設定その他各種法制化に参画し、現在のテレビ放送事業の技術基準作成に貢献した。

1975(昭和50)年2月、研究中の火災事故により永眠。

(※)
第1回十大発明家・1930(昭和5)年
鈴木梅太郎 (ビタミン)・杉本京太(邦文タイプ) ・御木本幸吉(養殖真珠) ・山本忠興(テレビジョン) ・密田良太郎(水銀避雷器) ・蠣崎千晴(牛疫ワクチン) ・島津源蔵(蓄電池) ・本多光太郎(KS鋼、新KS鋼)・田熊常吉(ボイラ) ・丹羽保次郎(有線写真電送装置)

第2回十大発明家・1939(昭和14)年
三島徳七 (MK磁石鋼)・大河内正敏(ピストンリング) ・岡村金蔵(油母頁岩乾留法) ・梅根常三郎(赤褐鉄鉱選鉱法) ・棚橋寅五郎(無機薬品の製法) ・安藤博(多極真空管) ・浅尾荘一郎(光電管) ・古賀逸策(水晶振動子) ・岡部金治郎(マグネトロン) ・朝日奈泰彦(ビタカンファー)

財団法人・安藤研究所

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