大分県日田郡中島村(日田市大鶴町)生まれ。
1869(明治2)年5月6日- 1932(昭和7)年2月9日 63歳
政治家、財政家。日本銀行第9、11代総裁。
第二次山本、浜口、第二次若槻内閣の大蔵大臣。
つくり酒屋の五男として生まれる。号は清渓。
日田教英中学、仙台第二高等学校を経て、東京帝国大学法科に入学。
大正期から昭和期にかけて、日銀総裁、大蔵大臣を歴任し、その間日本の経済発展に貢献し、昭和5年金解禁にこぎつけるなど、その力量は高く評価されていたが、昭和7年2月、選挙運動中に血盟団員小沼正に暗殺される。
井上準之助生家・清渓文庫(日田市大鶴町2299)
井上酒造(日田市大肥大鶴町2220-1)
井上準之助墓所・青山霊園(東京都港区)
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