児島惟謙(こじま・これたか)・愛媛の偉人
伊予国宇和郡宇和島城下堀端通(愛媛県宇和島市堀端町)生まれ。
1837(天保8)年3月7日-1908(明治41)年7月1日 72歳
明治の司法官、大審院長。
大審院長(現在の最高裁判所長官に相当)を務めていた時に、来日中のロシア皇太子を巡査が切りつけるという大津事件が起こり、その巡査の裁判に際して、政府はロシアへの体面から裁判所に対して、死刑に処するように求めた。
しかし、大審院長として圧力に屈せず、担当判事を励まし、無期徒刑の判決を下させ、司法権の独立を守り「護法の神様」といわれた。
後、貴族院議員や衆議院議員となり国政にも尽くした。
児島惟謙先生出生地碑(愛媛県宇和島市堀端町)
児島惟謙先生像(愛媛県宇和島市丸之内・宇和島城上り立ち門前)
児島大審院長苦学之地(愛媛県西予市野村町野村)
15歳のときに父の実家である野村町の緒方家において学問に励んだ。愛媛県生涯学習センター内愛媛人物博物館(県民メモリアルホール)
大津事件跡碑(滋賀県大津市京町)
児島惟謙墓所(海晏寺・東京都南品川5)
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