島根県安来生まれ。
1890(明治23)年-1966(昭和41)年11月18日 77歳
陶芸家、近代陶芸界に偉大な足跡を残した。
中学の頃から陶芸の道に入ることを志し、1914(大正3)年、東京高等工業学校窯業科を卒業ののち、京都市立陶磁器試験場に勤め研鑚を積む。
1920(大正9)年、京都・五条坂の清水六和の窯を譲り受け、本格的に作陶を始める。中国・朝鮮の古陶磁から学び三彩・青磁・三島などを独自の感性を通して制作していくとともに、スズ結晶といった新しい釉薬を研究し生み出していった。
1921(大正10)年、はじめて催した個展で一躍名を知られる。
1924(大正13)年、浜田庄司を介して柳宗悦を知り、共に民芸運動を推進する一方、制作に工夫を重ねては、華麗で斬新な秀作を次々と生み出し、戦後に至っては大胆な上に奔放さを加えた業は国際的な評価を受けた。
1937(昭和12)年、パリ万博にて「鉄辰砂草花丸文大壷」を出品してグランプリを受賞。
1957(昭和32)年、ミラノ・トリエンナーレ展で「花文菱形扁壷」によってグランプリ受賞。
河井寛次郎記念館(京都市東山区五条坂鐘鋳町569)
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