宮崎県日南市生まれ。
1855(安政2)年10月26日-1911(明治44)年11月26日 56歳
藩校振徳堂に学び、大学南校・現東京大学卒業後、文部省留学生として米国ハーバード大学に留学。帰国後司法省を経て外務省に入り翻訳局長、清国代理公使、外務次官を歴任しさらに、米、露、清の公使となる。
1901年(46歳)、桂内閣の外務大臣に就任。
1905年、首席全権大使として米国ポーツマス市で日露講和条約を結び日本に平和をもたらす。1908年(53歳)外務大臣に再任。
1911年、米英独仏と、幕末以来の不平等条約を改正し関税自主権を回復。以後、わが国は諸外国と対等な国際関係になる。
勲功により侯爵位を授けられる。同年、神奈川県葉山町にて永眠(56歳)。
小村寿太郎の青少年にむけてのスピーチ
私が学生に望むことは「誠」である。私が人よりすぐれたところがあるとは思わない、もし私に万が一長所があるとすればそれは「誠」の一字につきると思う。
「日南市HPより」
小村寿太郎墓所 東京青山霊園
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