京都生まれ。岡山藩士。岡山ゆかりの偉人。
1619(元和5)年-1691(元禄4年8月17日)73歳
江戸時代前期の岡山藩士、陽明学者。
岡山藩番頭をつとめた。
16歳の時から5年間池田光政に仕え、その後、現在の滋賀県で中江藤樹から陽明学を習い、のちに再び光政に仕え、政治的学問的手腕が評価され、三千石の番頭に命ぜられた。
蕃山の治国策は、藩民への儒教の普及から軍事面の充実、治山治水などの農業土木に至るまで、国政全般に及んでいた。蕃山の根本的な思想は、現実に応ずる政治的実践を学問の目標としたところにあり、農本主義を唱えて治水・治山による農業政策(米の増産)を実践し、藩財政の立て直しに寄与した。
しかし、林羅山による中傷、岡山藩家中の反感により、蕃山村(しげやまむら)に引退した。「蕃山」の名はその地で「蕃山の了介」と称したことに由来する。
離藩後は岡山藩政を痛烈に批判し、光政と和解することはなかった。1687(貞享4)年、幕命により政治批判の罪で下総に禁固され、同地で没した。
熊沢蕃山先生勉学処の碑(近江八幡市中小森町)
熊沢蕃山先生の碑(岡山市蕃山町)
熊沢蕃山顕彰碑(岡山市)
熊沢蕃山宅跡(備前市蕃山)
記念館・蕃山文庫(滋賀県大津市・旧志賀町)
熊沢蕃山墓所 鮭延寺(茨城県古河市・旧総和町大堤)
関連図書
この記事へのコメントはありません。