長門国萩平安古(山口県萩市平安古)生まれ。
1840(天保11年)-1864(元治元年7月19日) 25歳
萩藩(長州藩)藩士。
長州藩における尊皇攘夷派の中心人物。
高杉晋作とともに『松下村塾の双璧』といわれる。
萩藩医の子として生まれる。
藩校明倫館に入って医学および洋書の学んだのち、17歳で九州に遊学。宮部鼎蔵を訪ねた際、吉田松陰の名を耳にする。
帰藩後、松下村塾に学び、高杉晋作と並び称された逸材で、吉田松陰の妹と結婚。
松陰刑死後、尊皇攘夷運動の先頭に立ち、江戸品川の英国公使館焼打ちを決行。
8月18日の政変で長州藩が京都を追われた際には七卿落を先導した。
武力上洛を図る藩論を抑えられず、禁門の変に奮闘して負傷、自刃した。享年25歳。
久坂玄瑞生誕地・旧宅跡(萩市平安古町)
松下村塾(萩市松本市1537)
久坂玄瑞銅像・萩往還公園<道の駅>(萩市大字椿字鹿背ケ坂)
明倫館(萩市大字江向)
久坂玄瑞の密議の角屋(京都市下京区西新屋敷揚屋町<角屋前>)
久坂玄瑞墓所
霊山護国神社内(京都市東山区)、東光寺(萩市椿東椎原)、萩市椿東護国山、保福寺(萩市沖ノ町)、桜山神社(下関市上新地町)、朝日山招魂場(山口市二島)
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