岡山県後月郡木之子村(岡山県井原市)生まれ。
1844(弘化元)年11月21日-1933年(昭和8)年4月30日
日本のビール王。
医者の子として生まれる。井上馨の先収会社に入るが、明治9年会社が解散の後、三井物産入社。明治25年、破産寸前の日本麦酒の役員に就任し、再建に着手。わが国で初めて銀座にビアホールを開くなど奇抜なアイデア、PRの天才だった。明治39年、日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒の三社合同でできた大日本麦酒会社社長に就任、没年まで務めた。また、明治31年には衆議院議員になり、さらに貴族院議員となったほか、100以上の会社に関係する財界の長老的存在であった。大日本麦酒は現在のアサヒビールとサッポロビールの母体となった。
馬越恭平銅像(渋谷区恵比寿・麦酒記念館)
馬越恭平墓所(岡山県井原市三光寺)
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