松浦武四郎(まつうら たけしろう)・北海道/三重の偉人
伊勢国須川村(三重県松阪市)生まれ。北海道ゆかりの偉人
1818(文政元)年3月12日-1888(明治21)年2月10日 70歳
北海道の名付け親として有名
類まれな知識欲・好奇心・冒険心で、蝦夷地の探検をはじめ、日本の深山の探査や和歌、漢詩、絵画など多方面にわたって、多芸多才ぶりを発揮した北海道ゆかりの偉人である。
伊勢国須川村で生まれる。27才頃まで全国各地を旅し名所旧跡を訪ねる。地理学者でもあり探検でもあり、28才から6回にわたって蝦夷地の調査を行う。38才で、幕府の役人として更に蝦夷地の調査を行い「東西蝦夷山川地理取調図」28冊などを刊行する。維新後は蝦夷地開拓御用掛、開拓判官となり北海道名、(アイヌ語をもとに)国名、郡名の選定にあたり、北海道命名者として従五位開拓判官に任命され不朽の名誉を残したところから「北海道の名付け親」と称されている。
蝦夷地の調査では、アイヌの人々の協力を得、彼らと親しく交わったが、当時アイヌの人々、その土地は政府の剥奪の対象であった。しかし、武四郎は、アイヌ人側に立って、様々な努力を積んだという。
また、彼の多くの著作の中でも「近代蝦夷人物誌」は 武四郎の人間性を象徴する共に近世ルポルタージュの最高作として評価が高い。
御一新の光と影 (日本の『創造力』―近代・現代を開花させた470人)
えぞ地の探検―北海道の名づけ親松浦武四郎
松浦武四郎は旅が好きで、十六歳の時から諸国を巡り歩いた。
一時長崎で僧となるも、還俗して、折からロシアの脅威にさらされつつあったえぞ地の探検を志す。
そしてアイヌ文化のすばらしさを知ると、彼らを守るためにえぞ地開発の一助になろうと決意し、苦しい旅をくり返してはその調査記録を何冊も著した。
維新後改めてえぞ地開拓御用係に任じられた武四郎は、この地を北海道と命名し、アイヌ語を使った国名や郡名を定めた。
松浦武四郎記念館(三重県松阪市)
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