加賀国金沢新竪町(石川県金沢市新竪町3)生まれ。
1860(万延元)年-1945(昭和20)年 85歳
近代日本を代表する思想家・評論家・ジャーナリスト。
旺盛な好奇心、和漢洋に及ぶ学識の広さから「哲人」と称される。
本名雄二郎。雪嶺の号は、日夜仰ぎ見た名峰白山からとっている。
加賀藩の儒医の子として生まれる。
愛知英語学校、東京開成学校をへて、東京大学哲学科卒業。
文部省に勤務するが官吏生活になじめず退職し、ジャーナリストとして活動する。
1888(明治21)年に、志賀重昂らと政教社を設立、雑誌『日本人』を創刊して、政府の専制主義と欧化主義に批判的立場を取り、日本や東洋の文化の再認識を説いた。
『日本人』という雑誌名も雪嶺の命名といわれている。
明治期のナショナリズムの代表的主張者で、「国粋保存」の立場から当時の条約改正反対運動・大同団結運動などに関わる。
その後、おびただしい人生論を書き始めるとともに、度々講演にもたち、儒教・仏教を主とする東洋哲学を、西洋哲学とならぶものとして位置づけ、東西両哲学の拮抗と総合とをめざした。
夫人は、小説『藪の鶯』などで才媛と謳われた女流作家の田辺花圃(かほ)。
三宅雪嶺生誕地(金沢市新竪町3・新竪町小学校横小公園)
金沢市立ふるさと偉人館(金沢市)
三宅雪嶺記念資料館(茨城県龍ケ崎市120・流通経済大学内)
旧三宅雪嶺邸三宅文庫(渋谷区初台2-27-14)
三宅雪嶺墓所・青山霊園(東京都港区南青山)
関連書籍
この記事へのコメントはありません。