安芸(広島)藩士の子に生まれる。
1623(元和9)年-1697(元禄10年7月23日)
江戸時代の農学者。
佐藤信淵・大蔵永常とともに『近世の三大農学者』のひとり。
近世農書を代表する『農業全書』の著者。
広島藩士の子に生まれ、25歳のとき山林奉行として福岡藩に仕えた。30歳を過ぎて職を辞し、諸国を巡歴して農業技術を学んだ後、筑前国志摩郡女原村(現在の福岡市西区周船寺)に居を構え、農業技術の研究と改善に専念した。
また、貝原益軒などとも交流し中国の農業に関する書物や本草書を研究した。
主に、中国の「農政全書」を学び、自らの体験・見聞を基にわが国最初の体系的農学書の『農業全書』を著した。五穀、菜類、果樹など10巻に分け、見聞と体験に基づく農業技術を記している。
この『農業全書』は、1697(元禄10)年に京都の茨木多左衛門によって木版刊行され、その後も数回の再版を重ねて多くの読者を獲得し、全国的に普及し、農業の必読書とされた。近世農業の発展に大きな役割を果たした偉人といえよう。
宮崎安貞墓所・書斎(福岡市西区周船寺381-14)
「近世の三大農学者」
江戸時代の農業研究家で、農業の基礎をつくったとされる三人。宮崎安貞(みやざき やすさだ)・広島の偉人
1623(元和9)年-1697(元禄10年7月23日)大蔵 永常(おおくら ながつね)・大分の偉人
1768(明和5)年-1860(安政7)年?佐藤信淵(さとう のぶひろ)・秋田の偉人
1769(明和6)年-1850(嘉永3)年 81歳
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