和歌山の偉人

陸奥宗光(むつ むねみつ)・和歌山の偉人

和歌山藩和歌山城下(和歌山市吹上)生まれ。

1844(弘化元)年8月20日-1897(明治30)年8月24日 54歳

明治の政治家、外交官。
「カミソリ大臣」と呼ばれ、外務大臣として不平等条約の改正に辣腕を振るった。
近代日本外交の中心人物。

和歌山藩士の子に生まれる。18歳で紀州藩を脱藩し、勝海舟の海軍塾に入り坂本竜馬と知己を得、海援隊に参加し、討幕運動に奔走する。

明治維新後は外国事務局御用係、兵庫県知事、神奈川県令、地租改正局長などを歴任するが、明治11年に立志社陰謀事件に連座して収監され、5年間入獄。
明治16年、出獄して外遊後、外務省に入省し、外交官として活躍する。

明治21年に駐米全権公使に就任、同年、メキシコとの間に、日本最初の平等条約である日墨修好通商条約を締結することに成功する。この条約が日本の国際社会における平等外交の始まりであると評することができる。

帰国後の明治23年、第1回衆院選で和歌山から出馬、当選。第1次山県、第1次松方各内閣の農商務相、第2次伊藤内閣の外相を歴任。不平等条約の改正に尽力し、明治27年、ロンドンで日英通商航海条約に調印し、領事裁判権の回復を実現。

そのころの議会では、条約を改正すると、それまで居留地にいた外国人に日本での自由な活動を認めねばならず、日本経済が外国人によって支配されるのではないかと、改正に反対する意見も強力だったが、陸奥は、外国人に完全に国を開くことが維新以来の大方針であると説得し、条約の改正に成功した。

対清強硬路線をとり、日清戦争開戦へと導き、明治28年、下関で日清戦争講和条約調印全権団として臨み,日本で最初の対外戦争の戦後処理を行う。戦後のロシア、ドイツ、フランスの三国干渉に関しては、遼東半島を清に返還するもやむを得ないとの立場で処理。

その後、体調を崩し、大磯の別荘での療養生活を送り、明治30年8月24日に永眠。

1892(明治25)年から執筆を開始した「蹇蹇録(けんけんろく)」は、日清戦争、 三国干渉の処理について記述したもので、外務省の機密文書を引用しているため長く非公開とされ、1929(昭和4)年に初めて公刊された。明治外交史上の第一級史料である。

陸奥宗光生誕地・記念碑(和歌山市・国道42号線小松原通5丁目交差点)

陸奥宗光銅像・岡公園(和歌山市岡山丁)

日清講和記念館(山口県下関市阿弥陀寺町4-3)

陸奥宗光墓所・寿福寺(神奈川県鎌倉市扇ケ谷1)

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