播磨国赤穂藩城代家老。
1659(万治2)年-1703(元禄16年2月4日) 45歳
内蔵助は通称で、名は良雄(よしお)。
赤穂義士の首領。
赤穂事件で四十七士を率いて、討ち入りを果たした。
1701(元禄14年3月14日)、藩主・浅野長矩の刃傷、切腹ののち、浅野家再興に尽力したが、その見込みが絶たれたため、吉良邸討入りを計画。1702(元禄15年12月15日)未明に見事、吉良義央の首級をあげた。翌1703年2月4日に切腹した。
赤穂事件を題材とした忠臣蔵は、いまなお多くの日本人に語り継がれる。
大石神社・大石内蔵助宅跡(兵庫県赤穂市上仮屋)
赤穂市立歴史博物館・塩と義士の館(赤穂市上仮屋)
大石良雄仮寓地跡(開城後大石内蔵助が2月余り過ごした邸跡・通称「おせど」)
名残りの松(赤穂市御崎)
花岳寺・宝物館・二代目名残りの松(赤穂市加里屋)
如来寺(赤穂市尾崎)
正福寺(赤穂市御崎)内蔵助が使った碁盤、内蔵助書両親画像、義士の手紙が多数残っている。
日吉神社(赤穂市新田)大石内蔵助自筆の絵馬。
高光寺(赤穂市加里屋)大石内蔵助書、大黒天画像。
大石良雄別邸跡・滴水庵(兵庫県相生市)
大石神社(京都市山科区)
大石良雄遊興地よろづや(京都市伏見区撞木町)
安養寺(京都市東山区)元禄15年7月28日の大石内蔵助らによる円山会議の開催地。
赤穂浪士旧跡(山科区安朱堂ノ後町・瑞光院前)
「大石良雄君隠棲旧跡」の碑・岩屋寺内(山科区西野山桜ノ馬場町)
来迎院(京都市東山区)大石内蔵助遺愛の茶釜と肖像画。
箱根神社宝物館(神奈川県箱根町)大石内蔵助が作った浅野家断絶から討入直前までの「預置候金銀諸払帳」が保存。
大石陣屋跡(神奈川県鎌倉市雪ノ下1-8-37付近)
軽部五兵衛屋敷跡・称名寺前(神奈川県川崎市幸区下平間
大石内蔵助の江戸仮寓の地(東京都中央区日本橋本町4-15付近)
赤穂義士記念館・泉岳寺内(東京都港区高輪2-11-1)
大石内蔵助墓所・銅像 泉岳寺(東京都港区高輪2-11-1)
大石りく・ゆかりの地(兵庫県豊岡市)
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