静岡県榛原郡堀野新田村(静岡県牧之原市堀野新田)生まれ。
1874(明治7)年4月7日 - 1943(昭和18)年9月20日
栄養化学者。十大発明家のひとり。
『日本栄養学の父』とよばれる。
15歳で単身上京し、勉学に励み、1896(明治29)年、東京帝国大学農学科を主席で卒業。
同大学助教授となって翌年スイス、ドイツへ留学し有機化学を学ぶ。1906(明治39)年に帰国し、翌年東京帝国大学農科大学の教授となる。
1910(明治43)年、ビタミンBの抽出に成功し、「オリザニン」と名付け、当時流行した「脚気」の治療に大きく貢献。
第一次世界大戦で輸入の途絶したサルバル酸、サリチル酸など医薬品の工業的製造、米を使わない合成清酒「理研酒」の発明と量産、ビタミン剤の製造にも成功した。
著書に『植物生理化学』、『鈴木梅太郎博士論文集』、『研究の回顧』がある。
鈴木梅太郎胸像(地頭方小学校・静岡県牧之原市地頭方981)
静岡県立大学と県立図書館の間の遊歩道に鈴木の胸像や顕彰碑が建立されている。(静岡県静岡市駿河区谷田)
鈴木梅太郎墓所・了見寺(牧之原市堀野新田)
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