岩手の偉人

高野長英(たかの ちょうえい)・岩手の偉人

陸奥国胆沢郡水沢(岩手県奥州市水沢区・旧水沢市)生まれ。

1804(文化元年5月5日)-1850(嘉永3年10月30日) 47歳

江戸時代の医者・蘭学者。
後藤新平、斎藤実とともに『水沢の三偉人』とよばれる。

仙台藩水沢留守家の家臣後藤実慶の三男として生まれる。

9才で父を亡くし母親の実家にもどり、叔父高野玄斎の養子となる。養父も祖父も医者である高野家での生活が、長英に蘭方医学への興味を抱かせた。

1820(文政3)年、17才で江戸にでて、吉田長叔の門人となり、蘭学を学び始める。後に長叔から一字をもらい高野長英となる。

その後、長崎遊学し、シーボルトの鳴滝塾で医学・蘭学を学び、その抜きん出た学力から塾頭となった。

ところが1828(文政11)年、シーボルト事件が起き、多くの門人が捕らえられて厳しい詮議を受けたが、たまたま旅行中だった長英は難をのがれる。自分で蘭学塾を開こうと考えた長英は、西日本をまわり江戸にもどる。

1830(天保元)年、江戸に戻り麹町に町医者と蘭学塾を開業。『西説医源枢要』や『居家備用』などを訳した。

渡辺崋山・小関三英などと交わり、西洋事情や学問について研究、1837(天保8)年のモリソン号事件について、『戊戌夢物語(ぼじゅつゆめものがたり)』を著して幕府の異国船打払い策を批判した。

幕府の目付鳥井耀蔵らの注目を受け、1839年の蛮社の獄によって、崋山らと投獄された。牢内では服役者の医療に努め、また劣悪な牢内環境の改善なども訴えたるが、1844(弘化1)年、江戸の大火に乗じて脱獄。

各地に潜行の後、シーボルト時代の同門・二宮敬作の案内で宇和島藩主伊達宗城に庇護され、宗城の下で蘭学書の翻訳や、宇和島藩の兵備の洋式化に従事。

江戸に帰り、青山で沢三伯偽名で町医者を開業したが、1850(嘉永3)年、幕吏に襲われ自害した。

高野長英生誕地、旧宅(岩手県奥州市水沢区)

高野長英記念館(岩手県奥州市水沢区中上野1)

高野長英の隠れ家(愛媛県西予市宇和町卯之町)

高野長英墓所・大安寺(岩手県奥州市水沢区東町)

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