高知の偉人

植木枝盛(うえき えもり)・高知の偉人

土佐国土佐郡井口村(高知県高知市井口町)に生まれる。

1857(安政8)年1月20日~1892(明治25)年1月23日  36歳

明治の思想家。

 土佐藩士直枝の子。藩校致道館で漢籍を学ぶかたわら、洋学書を読み世界の大勢を知る。1874(明治7)年板垣退助の演説を聞いて政治に目覚める。翌年上京し、西洋近代思想を独学で修得した。『郵便報知新聞』に「猿人政府ひとをさるにするせいふ」と題する投書記事で2か月間投獄される。
 77(明治10)年に高知へ帰り、21歳の若さで立志社に入り、国会開設を要求した「立志社建白書」を起草する。以後自由民権理論の普及と運動の発展に生涯を賭(か)ける決意し、板垣退助らとともに国会開設運動・自由党結成に尽力した。1881(明治14)年には私擬(しぎ)憲法中もっとも民主主義に徹底した「日本国国憲按」を起草し、これはのちの日本国憲法に大きな影響を与えたといわれている。
 30歳で高知県会議員、1890(明治23)年34歳で第1回衆議院議員選挙で大勝。第1回定国議会における予算案の議決で政府側に妥協し、東洋のルソーといわれた中江兆民をはじめとする他の民権派から裏切者と非難され、自由党脱退を余儀なくされた。第2回総選挙立候補準備中の1892(明治25)年1月23日、持病の胃腸病が悪化し36歳の若さで東京にて没。
 枝盛には実に多くの著作があるが、彼の生涯を通じて後世に残したメッセージは何だったのか。公刊されなかった著書『無天雑録』の中で『人間の前途には永久に大成というようなもののあるべき道理はない、人間の進歩には極度がない、限界がない・・・どのような状態でも、心身のあらんかぎり、決して自ら満足し、そこにとどまってはならない・・・人の能力は使えば使うほど発達して、決して人力には限界はないものなのである。』枝盛は決して優等でなかった。代言人試験(現在の司法試験)に落ち続けた。しかし、枝盛は繰り返し人間の進歩の大切さを説き続けたのである。

植木枝盛生誕地  高知市井口町

高知市立自由民権記念館

植木枝盛墓所 東京青山霊園

植木枝盛関連書籍

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