出雲国松江藩(島根県松江市)生まれ。
1860(万延元年6月7日)-1910(明治43)8月26日 51歳
明治の法学者。民法、商法の起草者として有名。
「空前絶後の立法家」、「先天的な法律家」と称され、「日本民法学の父」といわれた。
松江藩医の次男として宍道湖畔に生まれ、幼少より神童の誉れ高かったといわれる。
松江藩が雇い入れたフランス人からフランス語を学んだ後、一家で上京。
東京外国語学校(現・東京外国語大学)仏語科に入学、首席で卒業。 司法省法学校に入学、1894(明治17)年7月、腸チフスで卒業試験を受けられなかったにもかかわらず、平生の学業優秀ということで首席卒業し、ただちに司法省御用係となり母校に勤務。
東京大学法学部に転じて教鞭をとり、1895(明治18)年、フランスに留学。
リヨン大学法学部で『和解論』で法学博士を得、現地でも高く評価され、リヨン市からヴェルメイユ賞碑を受ける。
帰国後、東京帝国大学法科教授、和仏法律学校(現法政大学)校長、内閣法制局長官、法政大学総理などを歴任。
穂積陳重、富井政章とともに、日本の民法を起草した3人のうちの一人で、商法の起草にも参加。さらには韓国政府法律最高顧問に就任し、韓国の法典起草にまで加わっている。
これら多大な功績から「日本民法学の父」といわれる。
梅謙次郎博士顕彰碑(松江総合文化センター市民の杜)
梅謙次郎墓所・護国寺(東京都文京区大塚5-40-1)
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