山形県米沢市生まれ。
1897(明治30)年4月1日-1973(昭和48)年10月21日
日本を代表する民法学者。
東京帝国大学法学部独法科卒。ドイツに留学し、帰国後東京帝国大学法学部助教授となり昭和2年29才で同法学部教授となる。大学教授には、専門分野全体にわたる教科書(体系書)を書くこと、その中の重要なテーマについて終生的研究をすることの二つの任務がある、というのが我妻の持論で、生涯にわたってこれを実践。前者の代表が、「民法講義I-V4」(昭和7-47年)であり、これは、わが国で初めての民法体系書であり、豊富な判例を使って法律学の方法論を展開したもので、民法のバイブルともいわれ、裁判実務にも決定的といえる影響を与えており、ほぼ民法の全領域にわたり「我妻学説」は現在の通説的地位を占める。
戦後の民法改正ではその立役者となり、旧法の「家」の廃止、家族法の民主化のために活躍した。また、日本国憲法制定のために最後の貴族院議員に勅選された。1939年民法学界での多年の貢献により文化勲章受賞。受賞を記念して私財千六百万円を投じて、独自の奨学組織「自頼財団」を興譲館高校につくり、経済的に苦しい在学生に奨学金を月々与えた。
このような業績を踏まえて平成三年米沢有為会が我妻栄氏の旧居を購入し、記念館として保存されることになった。
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