新潟県長岡市生まれ。
1884(明治17)年4月4日-1943(昭和18)年4月18日 60歳
海軍軍人
旧長岡藩士の子として生まれる。日露戦争に従軍後、須磨・鹿島等の乗組をへて、砲術学校教官となる。 1919年から2年間駐米武官、ハーバード大学に学ぶ。帰国後、海大教官、航空本部技術部長、第1航空戦隊司令官等を歴任。1929年ロンドン軍縮会議予備交渉に日本代表として派遣された。 1939年連合艦隊司令長官となり、旧来の海軍の作戦計画に変更を加え、また米・英不可分を主張し、対米戦を無視した対南方武力行使は不可能であると考え、ハワイ真珠湾作戦を立案した。
1943年、南方の海軍基地を視察中、ソロモン諸島上空で戦死した。
山本五十六の言葉。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かず。」
山本五十六生家・記念公園(長岡市)
山本五十六記念館(長岡市)
山本五十六墓所(長岡市・長興寺、東京都府中市・多磨霊園)
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