江戸時代

【日本地図の父・測量の父・自然科学の父】伊能忠敬(いのう・ただたか)・千葉の偉人

【日本地図の父・測量の父・自然科学の父】伊能忠敬(いのう・ただたか)・千葉の偉人

上総国山辺郡小関村(千葉県山武郡九十九里町小関)生まれ。

延亨2年(1745)1月11日年‐文政元年(1818)4月13日 73歳

地理学者・測量家。50歳をすぎてから17年間にわたって日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図「大日本沿海輿地全図」を作製し、「日本地図の父」「測量の父」「わが国自然科学の父」と称される。

 

伊能忠敬見事なり、二度の人生―わが国自然科学の父 (郷土研文庫)

彼が歴史上の人物として、偉大なる先覚であることには、・・・異論はないであろう。
戦後において、故湯川秀樹博士が佐原の伊能忠敬旧宅を見学されたとき、こころから伊能忠敬を「日本における自然科学の父」と評価されたことは、まさしく当を得たもっともな意見と思われる。

 

伊能忠敬

 

日本地図の父・測量の父・自然科学の父

小関村の網元の家に生まれ、幼児に母を亡くした。婿養子の父は実家に戻り再婚、そこに落ち着かず、17歳で下総国佐原の酒造家・伊能家の養子となり事業家として成功して、かなりの財産を築いた。

50歳で隠居して、江戸に出る。19歳年下の暦学者高橋至時に師事し、測量・天文観測を学ぶ。

当時、正確な暦をつくるうえで必要な緯度一度の里程数が定まっておらず、天文学上の課題となっていた。これを解決するため忠敬は、長い南北距離の測量を企て、北辺防備の必要から幕府の許可を得やすい蝦夷地南東沿岸の測量を出願して官許を得た。

寛政12年(1800)測量を開始。最初の測量は蝦夷地およびその往復の北関東・東北地方で行われた。忠敬の測量は極めて精度の高いものであったことから、幕府からの支援は増強され、以後9回にわたり測量を命じられ、国家的事業に育っていった。

こうして日本全土の測量を行い、作られたのが大日本沿海與地全図で、これは最初の日本地図で、大変精度の高い地図として評価された。完成したのは忠敬没後の文政4年(1821)であった。

この地図は、維新後、新政府によって発行された軍事・教育・行政用の地図に基本図として使われ、その影響は明治末期にまで及んだ。

四千万歩の男 忠敬の生き方 (講談社文庫)

忠敬先生
・・・君たちの時代の測量値とくらべてどうかということに触れていない。わしが得た答は、君たちの時代、つまり現代の測定値と約一〇〇〇分の一の誤差しかないのだよ。

―そうでしたか。

忠敬先生
君に感心されては困るのだよ。君は小説の中でこのことをきちんと書くべきだった。そうしてこそはじめて、わしの仕事の値打ちがわかるわけだからね。こういう不手際がおこるのも、君が天文学を、そしてこのわしを愛していないからなのさ。ああわしはひどい作家に見込まれてしまった。もう死んでしまいたくらいだ。主役は降りた。いや『四千万歩の男』の発売は禁止する。

―そんな。無茶ですよ。

忠敬先生
帰ってくれ。もう顔もみたくない。お願いだから帰ってください。

伊能忠敬を歩いた (新潮文庫)

解説 木谷道宣

最初の妻ミチは、これまで言われてきたような意地の悪い女主人ではなく、よく忠敬に仕え、一男二女をもうけた。
二人目のタネは、伊能家の番頭の娘で長女イネの幼な友だち。使用人として忠敬に仕え、ミチを亡くした忠敬に自ら志願して嫁入りし、ニ男一女をもうけた。著者は、タネは身分をはばかって祝言をあげることを潔しとしなかったとし、伊能家ではなく実家の佐原の柏木家の墓地の片隅にひっそりと立つ「心蓮妙諦信女」の墓こそがまさにタネの墓、だと一人墓前で涙するのである。
三人目のノブは早くから伊能家の江戸の米穀販売店に出ていた長女イネの友人で仙台藩医桑原隆朝の娘。父と同様に忠敬を慕って四十五歳の忠敬の妻となるが結婚五年目で病没。没後も父隆朝は忠敬の最大の理解者の一人として伊能測量の実現に伊達家の縁で尽力する。
四人目の妻エイは、葛飾北斎の娘、と「フィクションですが」といいつつ著者は断定する。伊能図の絵のような美しさはエイの力によるところが大きいと。五十三歳の忠敬に二十歳の後妻、しかも才媛とくれば、師の高橋至時ならずともねたむより賞賛するしかなかったであろう。
かくて伊能忠敬は、日本地図を作った偉人であるだけでなく、いくつになっても年若い女性に慕われ、愛された、まさしく二十一世紀の高齢化社会の星にふさわしい男であったことを著者は問わず語りに、うらやましげに浮き彫りにするのである。

 

伊能忠敬ゆかりの地

伊能忠敬像(文化遺産オンライン)

伊能忠敬先生出生之地碑・伊能忠敬銅像(伊能忠敬生誕地公園・千葉県山武郡九十九里町小関)
揮毫は徳富猪一郎による。

伊能忠敬成長の処碑(千葉県山武郡横芝光町小堤)
父の実家・神保家前に立つ。近くに神保家墓地、「伊能忠敬の父 神保貞恒生活の処」碑もある。

伊能忠敬旧宅・銅像・「この一歩から」碑・家訓書碑(千葉県香取市佐原イ1899)

伊能忠敬記念館・石像(千葉県香取市佐原イ1722-1)

伊能忠敬銅像(佐原公園・千葉県香取市佐原イ771)

伊能忠敬銅像(香取市立佐原小学校・千葉県香取市佐原イ1870)

地図と測量の科学館(茨城県つくば市北郷1・国土地理院)

伊能忠敬測地遺功碑(芝公園・東京都港区芝公園4-8)

高輪大木戸跡(東京都港区高輪2-19-13)
忠敬が全国測量の基点とした場所。

伊能忠敬住居跡(東京都江東区門前仲町1-18)

伊能忠敬銅像(富岡八幡宮・東京都江東区富岡1-20-3)
忠敬が測量前に安全祈願のため必ず参拝した場所。

伊能忠敬居住地・地図御用所跡(東京都中央区日本橋茅場町2-12)

地図御用所は、実測による初めての日本全図を作製したことで知られる伊能忠敬(1745~1818)の住居に設けられていました。伊能忠敬は、51歳の時にした下総国佐原から江戸深川黒江町(東京都江東区)に居宅を移し、幕府天文方高橋至時の門に入って天文学を学び始めました。寛政12年(1800)からは本格的に日本全国の測量をはじめ、以降17年間にわたって日本全国の沿岸を測量し、その総距離は約4万kmにも及んだといいます。文化11年(1814)、九州地方の測量から帰った伊能忠敬は、深川黒江町から八丁堀亀島町と呼ばれていた現在地付近へ転居しました。この屋敷の敷地は150坪ほどでしたが、伊能忠敬の居住地としてだけではなく、測量図を作製するための地図御用所として利用されていました。伊能忠敬は地図が完成する前の文政元年(1818)に亀島町の居宅で死去してしまいましたが、その後も伊能忠敬の居宅は地図御用所として使用され、文政4年(1821)門弟や天文方の下役等の手により「大日本沿海與地全図」が完成しました。(平成17年3月・中央区教育委員会)

呉市入船山記念館(広島県呉市幸町4-6)
忠敬の測量風景を描いた「浦島測量之図」を収蔵している。

伊能忠敬の生涯

伊能忠敬史跡めぐり

坂部貞兵衛の墓所(宗念寺墓地・長崎県五島市福江町16-1)
坂部貞兵衛は、文化2年から10年までの8年間、伊能忠敬の日本測量に加わり、測量技術、統率力ともに優れ、忠敬の右腕として測量の旅には欠くことのできない人物であった。

伊能忠敬墓所・高橋至時墓墓所(源空寺・東京都台東区東上野6-19-2)

伊能忠敬を歩いた (新潮文庫)

現在、上野源空寺の墓地に入ると、入口左に高橋景保の墓であり、三、四人おいて至時、忠敬と続く。確かに隣同士だが、忠敬の墓石が至時のそれより大分大きいのが不思議だった。師の墓より弟子の墓が大きいのである。
その疑問は、忠敬から数えて六代目の次男にあたる洋画家・伊能洋氏の奥さま・陽子氏の推論によって解消された。世田谷伊能家に、忠敬の墓石代金の景保への受取書が残っているというのである。すなわち嫡子・景保が忠敬の墓石の代金を支払い、景保の意向で、父よりも忠敬の墓を大きくしたのだ。これなら分かる。泣かせる話である。
余談だが、歌舞伎で有名な幡随院長兵衛の墓も、ここ源空寺の忠敬の墓のすぐ近くにある。
忠敬の墓は、これを含めて三ヵ所にある。佐原の伊能家の菩提寺・観福寺と、南中村の平山家の墓地である。
源空寺には遺体、観福寺には遺髪と爪、平山家には墓碑だけだ。

伊能忠敬墓所(観福寺伊能家墓地・千葉県香取市牧野1752)

伊能忠敬墓所(日本寺脇平山家墓地・千葉県香取郡多古町南中1820-1)

四千万歩の男(一) (講談社文庫)

四千万歩の男 忠敬の生き方 (講談社文庫)

風と歩く―小説・伊能忠敬と四人の妻たち

【その他伊能忠敬測量関連碑】

第1次伊能忠敬測量隊最東端到達記念柱(北海道野付郡別海町本別海)

伊能忠敬北海道最初の測量地碑(函館山山頂・北海道函館市函館山)

伊能忠敬測量200年記念碑(噴火湾展望公園・北海道虻田郡豊浦町高岡67-1)

伊能忠敬蝦夷地上陸の地柱(吉岡漁港小公園・北海道松前郡福島町吉岡・漁港内)

伊能忠敬海上引縄測量之碑(大石漁港出河岸前・岩手県釜石市唐丹町大石)

測量の碑・星座石(岩手県釜石市唐丹町大曽根237)
忠敬生存中に測量事績を残して建立された全国唯一の場所。

伊能忠敬測量記念碑(北緯40度のシンボル塔近く・岩手県下閉伊郡普代村第2地割下村)

伊能忠敬測量之地(三和の森・広島県神石郡神石高原町時安5090)

伊能忠敬測量隊宿泊邸跡(庄屋七郎左衛門邸跡・広島県神石郡神石高原町油木乙1930・三輪酒造前)

伊能忠敬測量本隊宿泊邸跡(年寄門田久治良翁邸跡・広島県神石郡神石高原町井関)

伊能忠敬測量支隊宿泊邸跡(庄屋矢田貝孫兵衛正都邸跡・広島県神石郡神石高原町中平)

伊能忠敬測量200年記念碑(常磐橋・福岡県北九州市小倉北区室町2-1)

伊能忠敬宿泊跡碑(福岡県宗像市神湊)

伊能忠敬測量之地碑(五月橋・福岡県大牟田市栄町1)

伊能忠敬天測之地碑(東公園・長崎県五島市栄町8-5)

伊能忠敬測量史蹟(大分県別府市楠町3-7)

伊能勘解由忠敬測量遺跡(海岸寺・大分県津久見市堅浦602)

伊能の碑(鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦)

 

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