茨城の偉人

会沢正志斎(あいざわ せいしさい)・茨城の偉人

常陸国久慈郡諸沢村(茨城県常陸大宮市諸沢)生まれ。

天明2年(1782)5月25日-文久3年(1863)年7月14日 82歳

水戸藩士、儒学者で水戸学の代表的思想家。

天明2年(1782)5月25日、水戸城西南下谷の宅に恭敬の長男として生まれた。

10歳より藤田幽谷に師事、儒学・史学を学び、その高弟となった。
幽谷の思想に感銘し、20歳で国防問題に関する「千島異聞」を著す。

藩校彰考館に入り、「大日本史」の編纂に従事。斉昭ら諸公子の侍読を命ぜられ、以来17年間担当。
藤田幽谷の死で、後を受けて彰考館総裁となる。藩主継嗣問題では斉昭擁立に奔走。

斉昭が9代藩主になると、藤田東湖、武田耕雲斎らと藩政改革を推進した。郡奉行・彰考館総裁の要職を歴任、弘道館初代教授頭取に任じられた。
1844(弘化2)年斉昭が失脚後、罪を得て閉居に処されたが、1849(嘉永2)年、許されて復職した。
1853年ペリー来航に際し、対応策を斉昭父子に上申し、1855(安政2)年8月将軍家定に謁見した。安政の大獄後の藩内の紛糾の中で、その両派の収拾に努めた。

晩年には開国論に転向し、1862年には一橋慶喜に『時務策』を提出し、開国のやむをえないことを献言した。

神道と水戸学を合わせた大義名分論を唱えたことで有名だが、代表的著作である『新論』は、水戸学に尊王攘夷論的な体系づけを行ったもので、吉田松陰をはじめ、尊王攘夷運動に多大な影響を与えた精神的指導者であった。

って以来、実力を認められて昇進し、文化元年(1804)には23歳で徳川斉昭ら諸公子の侍読を命ぜられた。

水戸藩内のみならず、真木和泉・吉田松陰らも水戸訪問の際、彼に会って啓発された。

正志斎は自著について、これを閑聖(国体・教育・政治・経済・道徳・時務論など)、息邪(破邪論)、思問(経伝の注釈を主とした儒学書)、言志(詩)、達己(文章)の五編に分類している。
その主要なものには、閑聖編の『新論』『下学邇言』『江湖負暄』『油彝篇』『時務策』『人巨去就説』、息邪編の『豈好辯』『諳夷問答』『三眼余考』、思問編の『泰否炳鑑』『読論日札』『読書日札』『典謨述義』『読周官』、言志編の『言志篇』『眄柯集』、達己編の『正志斎文稿』などがある。

会沢正志斎生家跡銅像(茨城県水戸市南町3)

会沢正志斎幽居跡(茨城県水戸市大町3丁目)

水戸弘道館

彰考館・徳川博物館

会沢正志斎墓所(茨城県水戸市千波町・本法寺)

水戸学と明治維新 (歴史文化ライブラリー)
水戸学と明治維新 (歴史文化ライブラリー)

会沢正志斎文稿
会沢正志斎文稿

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