福岡県福岡市荒戸町生まれ。
1858(安政5)年9月7日-1932(昭和7)年3月5日。 75歳
明治~昭和の工学者、技術者出身の実業家。
福岡藩士の子に生まれ、藩校修猷館で学ぶ。明治4年(1971年)旧藩主にあたる黒田長知の供をして岩倉使節団に同行し渡米、留学。マサチューセッツ工科大学鉱山学科を卒業。帰国後は、大阪専門学校、次いで東京帝国大学で助教授となり、工学・天文学などを教える。工部省をへて、三井へ移り、三井三池炭鉱の経営を行う。三大工事といわれる三池港の築港、鉄道の敷設、大牟田川の浚渫を行って、生産力を高め、炭鉱経営を三井財閥の主力事業にした。
炭鉱経営に成功し、技術・経営ともに高い評価を得て、三井合名会社理事長となる。戦前の三井財閥の最高指導者として君臨した。昭和7年(1932年)東京日本橋の三井本館前で血盟団の一員に射殺された。享年75歳。
団琢磨墓所 東京都文京区・護国寺
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