埼玉の偉人

橋本雅邦(はしもと がほう)・埼玉の偉人

川越藩の絵師の子として江戸に生まれる。

1835(天保6年7月27日)-1908(明治41)年01月13日 74歳

明治期の日本画家。
狩野芳崖とともに『狩野雅信門下の双璧』、『二神足(にこうそく)』と称された。
日本画の名匠・『五名匠』のひとり。

5歳の頃から実父より狩野派のてほどきを受け、13歳で狩野雅信の門下となる。
狩野芳崖と同日の入門であった。

2人は徐々に頭角を現して狩野門下の『二神足』と並び称された。
狩野芳崖の後を継ぎ、塾頭になる。

1860(安政7)年、雅邦の号をもらって絵師として独立する。
御用絵師として松平周防守に仕え、川越藩士となったが幕末期は絵師としての生活は困窮を極めた。

1871(明治4)年には出仕していた川越藩が廃止され、海軍兵学校に出仕。
1876(明治9)年には海軍兵学校教官となる。

1882(明治15)年、84(明治17)年に内国絵画共進会銀賞を受賞。

フェノロサの知遇を得て、岡倉天心らの日本画復興運動を推進した。

1889(明治22)年、東京美術学校絵画科主任教授。
東京美術学校では、下村観山、横山大観、菱田春草、川合玉堂、寺崎広業らを指導。

東京美術学校校長であった岡倉天心が東京美術学校騒動で辞職すると横山大観らとともに辞職して日本美術院創立に加わった。

狩野派最後の画家で、同門の狩野芳崖とともに、洋画の技法を取り入れ、明治期の日本画の革新に貢献した。

代表作
「白雲紅樹」(東京藝術大学大学美術館

「竜虎図」(静嘉堂文庫

その他主な収蔵美術館

北海道立近代美術館・茨城県近代美術館・埼玉県立近代美術館・神奈川県立近代美術館・静岡県立美術館・新潟県立近代美術館・福井県立美術館・愛知県美術館・滋賀県立近代美術館・佐久市立近代美術館・飯田市美術博物館・北野美術館・山種美術館・富士美術館

山崎美術館(埼玉県川越市仲町4番地13)

橋本雅邦墓所・玉泉院(東京都江東区)

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