広瀬宰平(ひろせ・さいへい)・滋賀/愛媛の偉人
近江国野洲郡八夫村(滋賀県野洲市中主町)
1828(文政11年5月5日)-1914(大正3)年1月31日 87歳
実業家。住友財閥中興の祖、住友初代総理事。
11歳のとき、別子銅山勘場の給仕となって以来、57年間にわたって住友家に仕えた。フランス人技師を招き、銅山の採掘・製錬の機械化を進めたり、鉄道を敷設したりして、別子銅山の近代化を図った。
住友家の事業を存亡の危機から救い、住友財閥発展の基礎を固め、筆頭番頭として活躍した。
明治10年(1877)に住友家総理代人(のちの総理事)に就任し、また、大阪株式取引所や大阪商法会議所の創立に尽力するなど、関西財界のリーダーとしても重きをなした。
御一新の光と影 (日本の『創造力』―近代・現代を開花させた470人)
広瀬宰平生誕地(滋賀県野洲市中主町)
住友グループHP(広瀬宰平の歩み)
広瀬歴史記念館(愛媛県新居浜市上原2-10-42)
旧広瀬邸(愛媛県新居浜市上原二丁目3904-2)
広瀬宰平墓所
大阪府大阪市平野区瓜破、愛媛県新居浜市角野、滋賀県近江八幡市の三ヶ所にある。
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