熊本市生まれ
1864(元治元年2月5日)-1912(明治45)年2月28日 49歳
国際ジャーナリストの先駆者。
徳富蘇峰、陸羯南とともに『三大ジャーナリスト』とよばれる。
熊本藩士の子に生まれる。
18歳で上京。中村正直の私塾・同人社に入った後、慶応義塾に学ぶ。
大阪で、東海散士とともに雑誌「経世評論」の編集にあたる。
再度上京し、「日本新聞」の客員となり、新聞界の桧舞台に立った。
明治26年、細川護茂のフランス留学に随伴し、ヨーロッパ五ヶ国を訪問。
留学中、日本新聞に寄せた巴里(パリ)通信はたちまち人気となり、彼の文名は一躍天下に轟いた。
帰国後の1896(明治29)年、「大阪朝日新聞」の主筆として入社。
翌年、「東京朝日新聞」の主筆となり論壇の中心の一人として活躍した。
彼は、言論界を通じて、政治、思想、文芸や我が国新文化の開発に貢献し功績を残した。
また二葉亭四迷や夏目漱石の入社に尽力し、文豪の小説を新聞連載したことでも知られる。
新聞博物館(熊本市世安町172)
池辺三山墓所・月桂寺(東京都新宿区河田町)
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